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心揺さぶられその地に赴きたくなる…5月公開のドキュメンタリー映画

2016年5月公開の映画の中で、観た後にその地に赴きたくなるドキュメンタリー映画がありました。嫌なことが起こる昨今ですが、視聴後に得たカタルシスは旅によるそれにも近いです。ちなみに5月16日は松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った日(旧暦元禄2年3月27日)であることから「旅の日」と呼ばれています。

更新日: 2016年05月16日

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復興のトップランナーと呼ばれる宮城県女川町の人々のまちづくり

出演:
阿部淳
石森洋悦
阿部由理
阿部美奈
須田善明

監督:
乾弘明

2016年5月7日劇場公開

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町の復興の軌跡を描いたドキュメンタリー映画。

宮城県女川町は「あの日」、人口の1割近くが犠牲になり、8割以上が住まいを失った。そんな絶望から、人はどう立ち上がったのか。

写真は冷凍冷蔵施設「マスカー」。
多機能水産加工施設です。
貯蔵能力6,000トンを誇ります。

2012年10月に本格操業を開始。

最初の希望は、中東の国カタールによってもたらされた。古くは漁業で栄えたカタールは、震災直後に基金を設置し津波対応を施した冷凍冷蔵施設「マスカー」を建設。

建設を請け負った日本企業が全力で取り組んだ結果、驚異的な工期で完成したそうです。

まだ瓦礫の山だった頃、女川港の奥にすっくと立つ雄々しいマスカーを見たとき、町の人は「女川は本当に復興するんだ」と希望を感じたという。

このドキュメンタリーは最初、この「マスカー」設立の舞台裏を、多くの人に伝えなければいけないという気持ちから製作が開始したそうです。

ですが…

しかし取材を進めると、マスカーの立役者は「女川は若い人がすごい。マスカーの話は過去の話。今の女川を撮ってほしい」と言われた。

皆が毎日のように集まってまちづくりについて熱く議論していた。

中心になっていたのは30~40代の若きリーダー達。それまで町を引っ張ってきた還暦以上の人たちは「若い奴らが失敗したら俺たちが責任持つ」という気持ちで若者たちにやらせ、彼らのバックアップに回っていたそうです。

サンマとカタール。女川町復興ドキュメントって言葉で済ますと勿体無い。女川町が東北大地震での被害地区が多くある中で復興に最も取り組んだ町の一つであり、「復幸」のシンボルになること、またその過程やプロセスを残すことで「震災からの希望」を後世に残していくという存在意義を見出したってこと

サンマとカタール上演終了。 ふとした拍子に泣かされる映画でした 女川町に訪れた事のある方はもちろん行った事の無い人もこの映画を見れば間違いなく女川町に行きたくなる映画。 数日前に訪れたばっかりだけどまた行きたいなぁ。。 pic.twitter.com/HsDdRwFim2

原発事故で村を追われてもへこたれない母ちゃんたち

出演:
菅野榮子
菅野芳子

監督:
古居みずえ

2016年5月7日劇場公開

福島第一原子力発電所の事故により全村避難となった飯舘村を離れ、仮設住宅に移った女性を追ったドキュメンタリー。

菅野榮子(かんの・えいこ)さんは79歳。地元の自然を愛し、家族とともに懸命に働いてきた。孫に囲まれた幸せな老後を送るはずが、原発事故で一転する。

右側が菅野榮子さん。
左側が菅野芳子さん。

榮子さんが暮らす福島県飯舘村は全村避難となり、ひとりで仮設住宅で暮らすことになった。

支えは親戚であり友人の78歳の菅野芳子(かんの・よしこ)さん。芳子さんは避難生活で両親を亡くし、ひとりで榮子さんの隣に移ってきた。

90代のご両親だったそうです。

二人は「ばば漫才」と言いながら冗談を飛ばし、互いを元気づけた。

東日本大震災から5年が経過し、いまだに高い放射線量や長引く避難生活など先の見えない中、ユーモアを持って前に進もうとする彼女たちの姿が胸を打つ。

こちらはワークショップの風景。

「伝えなければいけない」という想いが、お二人にはあったようです。

ふたりは畑を耕し、様々な野菜を収穫した。村の食文化が途絶えぬよう、各地で味噌や凍み餅の作り方を教える。

それでも二人は悩む…

飯舘に帰りたいけど、帰れない。除染が始まって、家財道具を無造作に捨てられて、がらーんとなったご自宅を見て、榮子さんは「もう帰れない」と。

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blueblueluckyさん

好きなこと(動物、映画、その他エンタメ)、気になるニュース(地方・マイナー含む)を中心にまとめます。
まじめにゆっくり更新していきます。

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