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ロシア革命からソ連崩壊の歴史まで。旧ソ連が崩壊した原因と理由

アメリカと並ぶ大国とされていたソ連は、社会主義の成功事例とされていましたが、実態は官僚の腐敗と技術革新の遅れがみられて、市民の生活が貧困になって崩壊に向かっていきました。ソ連崩壊の要因とされているのは、労働生産性の低下です。

更新日: 2018年08月12日

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misukiruさん

ロシアでは1861年の農奴解放以後も農民の生活向上は緩やかで、封建的な社会体制に対する不満が継続的に存在していた。

◆1917年2月女性労働者のデモでロシア革命へ

1917年2月23日、ペトログラードで国際婦人デーにあわせてヴィボルグ地区の女性労働者がストライキに入り、デモを行った。

*女性労働者のデモから始まったロシア革命。

1917年3月8日、首都ペトログラードで食糧危機を原因としたデモが起こり、労働者に加え軍隊も参加し、ストライキが発生した。

◆ロシア革命からのソ連成立

出典rodo.info

ロシア革命で成立したソ連は、アメリカ合衆国と並ぶ世界の超大国として君臨します。

1917年11月7日のロシア革命(十月革命)からロシア内戦を経て1922年12月30日に成立したソビエト連邦は、第二次世界大戦後にはアメリカ合衆国に伍する超大国として君臨

レーニンは革命直後に、革命政権が生き残るかどうか、それが社会主義の道に開いていくかどうかを最終的に決定していく要素は、労働生産性だと述べています。

連邦国家を形成しており、ソ連のモスクアにおいて全ての決定がされていました。

◆1920年後半からスターリンの独裁体制

スターリンは、プーチンが目標にしているとされています。

1920年代後半からヨシフ・スターリンによる独裁体制が成立し、急速な工業化が進んだ。第二次世界大戦では、1940年にバルト三国を併合し、1941年からの独ソ戦(大祖国戦争)に勝利して東ヨーロッパ諸国の衛星国化を実現

◆1950年代からの変化

出典m.ruvr.ru

1960年代になると中国と対立して、70年代になると経済が落ち込み始めます。

1953年にソビエト連邦共産党第一書記に就任し、1956年2月、共産党第20回党大会にてスターリン批判を行ったニキータ・フルシチョフは、社会主義の範囲での自由化・民主化を進めようとした。

◆ 1979年アフガニスタンに対する軍事介入

1979年アフガニスタン戦争は、ソ連の国力を失わせる事になりました。

対米関係でも1970年代前半の緊張緩和が1979年のアフガニスタン軍事介入により終焉し、新冷戦へと逆行した。

ソ連軍のアフガニスタン国内での戦闘は、1979年の出兵から1989年の完全撤収まで約10年に及んだ。

◆ソ連の国力が弱体化

あちこちの国営店に食料や日用品を求める長い行列ができ、地下鉄の駅頭などには物乞いがたむろし、凍てつく夜の路上では安ウオツカの瓶を手に男が行き倒れていた。

◆チェルノブイリ原発事故の発生

ソ連の技術力が低下している事を世界に見せつけた事故となりました。

チェルノブイリ原発事故は、クリミア戦争の敗北と同様に、偶然でもなんでもなく、ソ連の技術体制と技術的な遅れを温存していた遅れた社会体制、政治体制に根ざしています。

2013年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在

チェルノブイリ事故前のウクライナにおけるLugyny地区の平均寿命は75歳であったが、事故後、65歳にまで低下しており、特に高齢者の死亡率が高まっていることが分かった。

◆ ゴルバチョフによるペレストロイカの失敗

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