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やっぱり甘くない…人気俳優の下積み時代

演技派男優の人気が出るまでのエピソードをまとめた。

更新日: 2016年06月05日

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kumanosuさん

いまや引っ張りだこの人気俳優ムロツヨシも下積みが長かった!

僕を育ててくれた親戚の家が、経済的な問題で家庭崩壊しかけていたんです。もう学費を払ってもらうわけにはいかないし、ちょうどいいきっかけだと。それで大学をすっぱりやめました。

まさかその後15年間、暗黒の時代が続くとは思わなかったです(笑)。3、4年で食っていけるだろうぐらいに思ってたんですよ。

経験を積むために小劇場のキャストオーディションを受けまくりました。ワークショップに行ったり、小さい劇団に入ってはやめを繰り返す落ち着かない生活で。僕が人を集め、脚本を書き、演出もする劇団を立ち上げたことも。

黙って立ってるだけでカッコいい人でありたいと思っていたんですが、そうじゃないことが26、27歳でわかりました。それでこのウザさやよくしゃべることをウリにするしかないと思って、「ムロツヨシ」を連呼して「僕を使ってください」と言い続けたんです。

1年間はバイトもやめ、自分を追い込み、8本の舞台に出演しました。僕の出演した2本の舞台を映画監督の本広克行さんが見てくれて、監督の映画に声を掛けてもらえたんです。またコツコツ舞台に出て、バイトざんまいの日々の再開です。コンサート会場の設営バイトではチーフみたいな立場まで上り詰めちゃって(笑)。

実力派・佐藤二朗も食べられるようになるまで長かった

大学を卒業したころは、役者をやって監督までやるとは思ってもみなかった。役者は趣味でやればいい、営業マンになろうと新卒でリクルートに入社した。が、「入社式のイケイケの乗りに疲れ果て、その日にカモメの社章を人事部長に返した」。「リクルート35年の歴史の中で入社日と退社日が一緒なのは君が初めてだ」と言われたという。

養成所に2つ通ったけどダメで。26歳のときにきっぱりと足を洗って、小さな広告代理店の営業になったんですが、やっぱり俳優をやりたくて。土日の余暇を利用して、養成所時代の仲間と立ち上げたのが『劇団ちからわざ』でした。

自分で劇団を立ち上げた当初は、文学座とは違う苦労がたくさんあったようです。まずメンバーがいつも不足していたので、そのキャスティングに日々奔走していましたし、チケットを売るために、代理店時代に培った営業力を活かしてこまめに手紙を書いたりもしていました。

その後、演出家の鈴木裕美に誘われ、「自転車キンクリート」に入団。そして30代のとき、大きなチャンスが訪れた。佐藤の舞台を観て、堤幸彦監督がドラマ『ブラック・ジャック』に抜擢したのだ。この作品以降、映画、テレビに呼ばれるようになり、竹野内豊主演の『人間の証明』では刑事役に選ばれた。

その後もすぐには俳優だけじゃ食えなくて。“課長A”とか“社員B”みたいな役をやった経験は、ほかの俳優さんに比べてかなり多いと思います。道路整理やテレフォンアポインターのアルバイトをやっていました。“あれっ? この2~3か月はバイトせずに食えている!”となったのは33歳のときだったかな。

大人気の松重豊も迷走は長かった

上京すると東京下北沢の中華料理屋さん「珉亭(みんてい)」でアルバイトしながら役者を目指しました。その際、一緒にバイト仲間として働いていたのが元ブルーハーツで現在ザ・クロマニョンズのボーカル甲本ヒトロさんです。

「蜷川スタジオ」を辞め、1年間、建築現場で正社員として働いた。「自分がやっていることと真逆の方向に走りたくなる衝動を止められなかった。芝居の世界に戻ると決めたときは、何があっても逃げ出さないと、腹をくくりましたけど」

「倉庫用などのテントを作る会社の正社員になりました。そこにはプロフェッショナルな人たちがいましたね。格好いい職人って、いい顔をしているんですよ。その後、(芝居仲間の)勝村(政信)に『もう一度俳優をやれよ』と言われて復帰したのですが、俳優も職人なので、そういうプロになりたいと思うようになりました」

しかし、舞台終了後また建設現場で仕事。5メートルの高さで作業していたときに落下。下になにか置いてあったら、死んじゃうと思った。発電機とバールの間にはまるように落ちた。幸い骨折だけで済んだ。休んでいる期間に俳優に戻った。

俳優でごはんを食べようと決意するも、バイトで生計を立てる日々が続いた。体はボロボロ。血尿が止まらなかったという。ただ、誰かが観ている。34歳で大河ドラマ『毛利元就』に出演することになった。そこから徐々に映像の仕事も増え、スタンスが変わった。

名脇役・寺島進もスタントマンなどで食いつないでいた

高校卒業後、俳優養成所の三船芸術学院に入所。歌舞伎町の飲食店で黒服のアルバイトをしながら通い、殺陣に目ざめた。「演劇の勉強は嫌いだったけど、殺陣が好きで向いてると思った。アクション俳優やスタントマンに憧れてたね」殺陣師の宇仁貫三氏に弟子入り。

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