1. まとめトップ

【これは怖い】あなたにも私にも、日本国民には実は基本的人権がない。憲法は機能不全と知れ

憲法そのものが機能していない実態を知りましょう。憲法で保障された権利は、実はないに等しい実態があります。

更新日: 2016年05月19日

5 お気に入り 5428 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

MieNa1012さん

◆秘密保護法案

◆集団的自衛権の行使容認

◆「サイバーセキュリティー基本法 および情報処理の促進に関する法律の一部を改正する法律案」(インターネット監視法案)

◆刑事訴訟法改正案(自由盗聴法)

◆ヘイトスピーチ規制法

近年、政府は国民の基本的人権や知る権利、思想及び良心の自由、集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護 など、憲法に明記された国民の権利を奪いかねない危険な法案を次々と可決しています。そのたびにネットでは「憲法〇条違反だ!」と批判が噴出しています。

現状では実は、憲法違反かどうかは政府にとって問題とはなりません。

なぜなら、ずっと昔から、日本の憲法は正常に機能していない、恐ろしい仕組みがあるのです。

この仕組みは1955年に始まった砂川闘争の最中に発生した砂川事件の裁判の際に出来上がってしまいました。

◆砂川闘争と砂川事件について、ざっくり知りましょう

▼砂川闘争の概要

1955年3月、在日米軍は日本政府に対し、ジェット爆撃機の発着のためとして小牧・横田・立川・木更津・新潟の5飛行場の拡張を要求した。同年5月4日、調達庁東京調達局立川事務所長は砂川町長・「宮伝」こと宮崎傳左衛門に対し立川基地拡張を通告した。この話はたちまち町中に広まり、拡張予定地内関係者は6日に集まり協議して絶対反対を決定、砂川基地拡張反対同盟の結成を申し合わせ、8日に基地拡張反対総決起大会を開いた。これが町ぐるみの砂川闘争の始まりである。砂川町議会も5月12日に基地拡張反対を決議し、全議員が闘争委員になった。
(※Wikipedia「砂川闘争」より引用)

▼砂川事件の概要

砂川事件(すながわじけん)は、砂川闘争をめぐる一連の事件である。特に、1957年7月8日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された事件を指す。
(※Wikipedia「砂川事件」より引用)

◆砂川事件の裁判では、在日米軍の存在が違憲かどうかが争点にされた。

第一審(判決)⇒在日米軍は違憲である。

東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条(デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)ことで注目された(伊達判決)。
(※Wikipedia「砂川事件」より引用)

最高裁裁判所判決⇒第一審破棄

最高裁判所(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、同年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論採用)として原判決を破棄し地裁に差し戻した(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)。
(※Wikipedia「砂川事件」より引用)

◆最高裁で『日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、(略)違憲かどうかの法的判断を下すことはできない』

と判決を出したことが、日本国憲法を機能不全にする端緒となってしまった。

※矢部宏次著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』PDF版 P43(PDFページ番号ではP45)に掲載された【憲法98条2項にもとづく一般的解釈】の図を再現しました。

▼砂川事件の最高裁判決は、憲法より下位の条約に関して、憲法判断をしないという判決

※矢部宏次著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』PDF版 P43(PDFページ番号ではP45)に掲載された【砂川判決以降の法体系】の図を再現しました。

▲この判決により、在日米軍の治外法権が法的に認められてしまった

ところが一九五九年に在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官(前述したとおり、占領中の一九五〇年から、独立の回復をまたいで、安保改訂のあった一九六〇年まで在職しました)が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出したわけです。
(略)
つまり安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです

▼本来の「憲法>条約>法律」の形を崩してしまった砂川事件の判決は、砂川事件や在日米軍のみに関わる判決ではなかった

深刻なのは、田中耕太郎が描いたこの最高裁判決の影響がおよぶのが、軍事の問題だけではないということです。最大のポイントは、この判決によって、
  アメリカ政府(上位)> 日本政府(下位)
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違法(イリーガル)な形で温存されていた権力構造が、
  アメリカとの条約群(上位)>憲法を含む日本の国内法(下位)
という形で法的(リーガル)に確定してしまったことにあります

1 2 3