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ゴールデンカムイの登場人物モデル&元ネタ集

新選組やら津山30人殺しやら。殺人犯多い。グロ画像はありませんが、殺人事件の話アリ。

更新日: 2016年12月13日

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ゴールデンカムイ

『ゴールデンカムイ』は、野田サトルによる日本の漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)2014年38号より連載中。明治末期の北海道を舞台にした作品。
「マンガ大賞2016」大賞受賞作。

目次

アシㇼパ(小蝶辺明日子)
アイヌ・砂金
杉元佐一
白石由竹
鶴見中尉
津山
第7師団(北鎮部隊)
二瓶鉄造
牛山辰馬
土方歳三
永倉新八
辺見和雄
鰊御殿
若山輝一郎
競馬の八百長
久寿田馬吉
山本理髪店
エディー・ダン
フォード・Tモデル
家永カノ
江渡貝弥作
江渡貝邸
和泉守兼定
月島軍曹
最後の晩餐(New!)
空知地方(New!)
熊岸長庵(New!)

参考HP

アシㇼパ(小蝶辺明日子)

■ 樺太の地名を音訳したもの
胡蝶別(コチョウベツ)→小蝶辺(こちょうべ)

胡蝶別は遠淵村の地名の一つ
遠淵という地名は、アイヌ語の「トウ・プツ」(湖の口)に由来。

コチエベツ

昭和時代の樺太知床半島西岸:胡蝶別(コチヨベツ)に該当、なかなか気が利いた当て字のアイヌ語地名である、原名はコツヨオホツペらしい谷がある深い沢からきた地名か。

アイヌ・砂金

アイヌ(Ainu)
人口 北海道 23,782人(2006年。北海道による「ウタリ生活実態調査」)、本州 約5,000人(東京2,700人、1988年)
姓数 約1,000個。もともと姓がなかったことから多様となったもの。今後も通婚が進めば姓は多様となっていくことになる。

北海道アイヌの改名
■ 1871年4月4日 戸籍法が公布。
■ 1872年5月 紋別で戸籍の作成を開始。
■ 1873年 長万部で戸籍の作成を開始。
■ 1875年 上川、岩内、静内で戸籍の作成を開始。
■ 1876年7月19日 根室支庁がアイヌに姓を使用するよう通達。
■ 1900年 特別訓令第355号『旧土人苗字設定注意』が出る。

明治8年(1875年)にロシアとサンクトペテルブルク条約(千島樺太交換条約)を結びました。この条約によって、ウルップ島以北の18の島を日本が領土とし、雑居地とされていた樺太をロシアが領有することが決まりました。
(略)
樺太・千島の先住民族は、3年の間にロシアまたは日本のいずれかの国籍を選び、現住地と選んだ国籍が異なる場合には、その地を立ち去ることが求められたのです。しかし、たとえば、ロシアとの結び付きが強かった北千島に住んでいたアイヌが、ロシア国籍を選ぶとすると、現在住んでいる土地を離れなければならないことになります。

日露戦争時には、63人のアイヌが出征しました。ただし、前述のように、この出征も差別撤廃のための手段として選択されたという背景があったことに注意をする必要があります。

カムイ古潭の埋蔵金
カムイ古潭に近い山中に近辺の川から採集した砂金を先住のアイヌたちが和人の襲撃に備えて隠蔽したというもの。
カムイ古潭にほど近い”魔の谷”と呼ばれる沢。近くの監獄部屋で働いていた男が、病死した仲間の死体を捨てに行って、誤って魔の谷に落ちて発見した、といういわれが残っているそうだが、真偽のほどは定かでなし。

不死身の杉元・杉元佐一

二行目下に「杉本佐一」が確認できる

曽祖父は一等卒として 日露戦争に出征しており、
激戦地であった旅順攻囲戦の二百三高地、その後の 奉天会戦に参加していた。
疎いひとに簡単に説明するなら、数々の映画、ドラマ、小説にもなった有名な戦いで
とにかくムッチャクチャ死んだ。
(略)
曽祖父の名前は杉本佐一だ。

作者の野田サトルさんのブログ

脱獄王・白石由竹

白鳥 由栄(シラトリヨシエ 1907年7月31日 - 1979年2月24日)
収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた。
26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年にも及んだ。

脱獄歴
1936年 青森刑務所 - 針金で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄。
1942年 秋田刑務所 - ブリキ板に釘で加工した手製の金工鋸で鉄格子を切断し、脱獄。
1944年 網走刑務所 - 味噌汁で手錠と視察孔を錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監視口をくぐり抜けて脱獄。
1947年 札幌刑務所 - 床下からトンネルを掘り脱獄。視線を上に向けてごまかしながら隠し持った金属片でノコギリを作り、床板を切断。食器で穴を掘って逃走
1948年 府中刑務所に収監。

鶴見中尉

須見 新一郎(1892年(明治25年)3月30日 - 1977年(昭和52年)4月15日)
1939年8月23日小松原師団長が指示した、わずか400人の兵力で敵側背に迫るという無謀な作戦を拒否し、小松原師団長、辻政信参謀の無謀な作戦計画に反対するなどもあり、ノモンハン事件後予備役編入となった。
(略)
「(小松原師団長は)あのソビエト軍をなめているなというかんじですな。あまくみているということですわ。」「でたらめな戦争をやったのみならず、臆面もなく、当時の小松原中将およびそのあとにきた荻洲立兵中将は、第一線の部隊が思わしい戦いをしないからこの戦いが不結果終わったようなことにして、各部隊長を自決させたり、処分したりしたんですね。」

あくまで元ネタ候補

33人殺しの津山

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