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改修の為、休館中の京都四條南座

都市の師走の風物詩「顔見世興行」で知られる国の有形文化財に指定されている京都市東山区の「京都四條南座」が当面休館することになった。

2015年に改正耐震改修促進法にもとづいて耐震診断を行ったところ、国の耐震基準を満たしておらず、「大規模地震で倒壊するおそれがある」と判明。このため、今年1月16日を最後に、竣工以来87年に及ぶ興業の歴史にいったん幕をおろし、休館することを正式発表した。

平成28年(2016年)1月を以て一時休館し、南座を次の時代に継承する為の改修を予定しています。

●南座と言えば、顔見世!

「うちの芝居小屋は、これから1年間この顔ぶれでやっていますよ」と観客に俳優の「顔を見せる」重要な行事なのです。

江戸時代当時では11月を始めとし10月を終わりとする歌舞伎役者の1年契約が一般的でした。そのため、当時の歌舞伎役者は11月にガラッと変わることもあり、その変わった役者を紹介するために行われたのが顔見世だったそうです。現在でも顔見世は大変重要視されており、11月や12月に行われる所が一般的

●昨年2015年の顔見世は

・四代目中村鴈治郎襲名披露

他、坂田藤十郎さん / 片岡仁左衛門さん / 中村梅玉さん / 市川左團次さん / 片岡秀太郎さん / 中村東蔵さん / 中村時蔵さん / 中村扇雀さん らが出演されました。

●日本で一番歴史がある、京都南座の顔見世

江戸の昔、歌舞伎役者の契約は年俸制で旧暦11月から翌年10月までの1年契約でした。そのため毎年11月初めに各座の新たな顔触れが舞台で口上を述べることを「顔見世」と称しました。これが現在の顔見世興行の始まりで「歌舞伎正月」の異名もあるほど、いま以上に華やかで賑やかなものでした。

京都南座の12月顔見世公演は、最も歴史が古いことで有名で、劇場正面には役者の名前が勘亭流で書かれた「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ、京都の年末の風物詩となっている。(まねきが掲げられるのは、南座と御園座で、歌舞伎座は掲げられない。)

とりわけ京の年中行事となった歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく続けられました。

まねきは厚さ1寸(約3cm)、長さ1間(約1.8m)、幅1尺(約30.3cm)のヒノキの板に勘亭流の文字で役者の名前が書かれています。
勘亭流は江戸時代から興行などで使われる独特の書体で、「大入りになるように」と縁起を担ぎ、筆太に隙間なく内側に向かってはねるように書いていきます。さらに上がったときのバランスも考え、文字に大小をつけています。勘亭流の文字はジャンルによって書体が異なり、劇場によっても変わるので、南座のまねきは誰にでも書けるものではありませんし、原則として南座でしか使われません。

●江戸時代には7つあった芝居小屋

南座は、元和年間(1615~1623年)京都四條河原に公許された7つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場です。
四条通りをはさんだ7つのうち、明治を迎えたのは2座のみで、明治26年に北側芝居も廃座となり南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残りました。

安土桃山風の櫓(やぐら)を備えた破風造りの華やかな外観を持つ南座は、1929(昭和4)年の建築。戦前戦後にかけて、たび重なる設備の改修を経て、1991年には外観はそのままに内部だけを全面改修して、最新設備の近代劇場に改築された。

桃山風破造りの豪華な劇場は、大正に入り改築されたものです。激動の昭和を乗りきり、今も風格のある姿を残していて戦中も顔見世興業は途絶える事はなかったそうです。国の有形文化財にも指定されている由緒ある建造物です。

江戸時代中期、七つの芝居小屋が並んだ四条通で「北座」は幾たびかの火災を潜り抜け、 南座とともに残りましたが、明治25年、四条通の拡張に伴い閉鎖されました。現在は井筒八ッ橋本舗の本店となっています。

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