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来栖崇良さん

ブランコ・シカティック【Branko Cikatić】

1954年10月15日 生まれ


出身地 クロアチア

国籍  クロアチア


身長  189cm

1993年、初めてのK-1グランプリ優勝候補筆頭は、当時世界最強のキックボクサーと名高かったモーリス・スミスであった。
しかし、蓋を開ければ、誰もがノーマックだったブランコ・シカティックが豪快に優勝をさらった。

1991年に旧ユーゴスラヴィアから独立したクロアチアは、その後すぐに内戦となり、その戦争は1991~1995年まで続いた。

そのため、新興イベントとはいえ、クロアチア人が世界チャンピオンとなってクロアチア国旗を振る姿は、クロアチアの歴史にとっても誇らしい出来事であった。

準々決勝 対 チャンプア・ゲッソンリット
(1R KO 右ストレート)


準決勝  対 佐竹雅昭
(3R KO 左フック)


決勝   対 アーネスト・ホースト
(1RKO 右ストレート)

後に4度もグランプリ王者となる、あのアーネスト・ホーストを、2度も派手にKOする。

K-1 GRAND PRIX '93 決勝戦」と「1994年12月10日 K-1 LEGEND 乱」において、共に豪快な右ストレートにより派手なKO勝利をおさめている。






そもそも負けが少ない「ミスター・パーフェクト」アーネスト・ホーストにKO勝利を2度もしていることから、その実力が本物であり、さらに高い決定力を備えていることが分かる。

相手の死角に入り、大振りにも見える軌道のパンチは、一発で試合を決めてしまう威力があった。

しかし「伝説」という呼称がされるのは、そうした事実以上に、優勝した1993年のK-1グランプリ時点で、分かりやすい実績に乏しく年齢が37歳であったため、すでにピークを過ぎている選手という意味が入り混じっていた。

1994年12月10日に引退を表明(1997年3月16日に復帰するが)した理由は、クロアチアの内戦に参加するがゆえだった。

常軌を逸した眼力は、戦場を知り、競技に打ち込めることの尊さを知るがゆえだったのかもしれない。

たいした時間とらないから観ておこう!!ブランコ・シカティックの伝説の拳2連発

この衝撃のKOシーンがK-1というイベントの初陣を成功に導いた。

あのアーネスト・ホーストが、どうしても勝てない伝説の拳。

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