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現在まで、最後のK-1王者ミルコ・クロコップ

K-1 WORLD GP 2012 王者ミルコ・クロコップ

更新日: 2018年01月20日

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来栖崇良さん

ミルコ・クロコップ【Mirko Cro Cop】

1974年9月10日 生まれ


出身地 ヴィンコヴツィ

国籍  クロアチア


身長  188cm

母国で悲願のK-1グランプリ初制覇

このイベントはもともと2012年12月26日にニューヨークで開催予定であったが、2013年3月15日にクロアチアのザグレブ開催に変更された。


また、このイベントは、K-1の興行体制の混乱から規模が大幅縮小し選手レベルも大きく下がったイベントとなり、2010年までのグランプリとはその質が大きく違う。


しかしながら、間違いなくK-1の看板が掲げられたグランプリであり、K-1でのグランプリ制覇を悲願としていたミルコ・クロコップはリング上で涙を流して優勝を喜んだ。

左ハイキック伝説が始まった1999年10月3日

1999年10月3日「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」の対戦相手は、当時トップクラスの実力とチャンピオンクラスの人気を誇っていたマイク・ベルナルドであった。

誰もがマイク・ベルナルドが勝つと思いながら試合を迎えるが

試合開始後、文字通り「あっ」という間に、ミルコ・クロコップの左ハイキックが一閃。
絶大なインパクトを残したKO劇であった。

2003年3月30日「K-1 WORLD GP 2003 in さいたま」でボブ・サップを左ストレート一撃でKOする。


当時のボブ・サップは、全盛期バリバリのアーネスト・ホーストに2連勝(共に1ラウンドKO勝利)した直後で、日本中から人間を超えた力を持っているような印象を持たれていた。

そのボブ・サップの勢いを止めたことにより、一気にミルコ・クロコップがK-1の顔として扱われるが、間もなく総合格闘技PRIDEへの参戦が決まる。

準々決勝 対 ジャレル・ミラー
(3R終了 判定2-0)


準決勝  対 パヴェル・ズラリオフ
(3R終了 判定3-0)


決勝   対 イスマエル・ロント
(3R終了 判定3-0)

PRIDE参戦後は驚異的なハイペースで試合を重ね、多くの勝利を上げた。




そして、その半分くらいの試合で必殺の左ハイキックが決定打となった。




左ハイキックの猛威はK-1の時以上となる。

1回戦  対 美濃輪育久
2回戦  対 吉田秀彦
準決勝 対 ヴァンダレイ・シウバ  
決勝  対 ジョシュ・バーネット

PRIDEの無差別級グランプリを圧倒的な強さで制したミルコ・クロコップは、PRIDEチャンピオンとして鳴物入りでUFCに参戦する。


しかしUFCでは、タイトル挑戦どころか勝ち越すことすら出来なかった。

ミルコ・クロコップのKOには言葉にならない華があった

「左ハイキック一閃」この言葉は、この試合の形容以外には使わないで頂きたい。

あのアーネスト・ホーストに2連勝直後のボブ・サップは「勝てる人間がいるのか?」本気でそんな議論が起こった存在だった。

ミルコ・クロコップの入場曲といえば

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