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<長崎県>軍艦島まとめ

長崎県にある軍艦島についてまとめたものです。

更新日: 2019年05月25日

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Jehovahさん

★★★☆☆

軍艦島(端島)

建物一覧

・56号棟1939年
(昭和14年)RC造3F職員社宅6戸

・57号棟1939年
(昭和14年)RC造4F鉱員社宅8戸。地下にピロティ商店

・59号棟1953年
(昭和28年)RC造5F鉱員社宅17戸。昭和40年代、屋上にプレハブ1階分を増築。地下に生協の購買所(60号棟地下と連結)

・60号棟1953年
(昭和28年)RC造5F鉱員社宅17戸。昭和40年代、屋上にプレハブ1階分を増築。地下に生協の購買所(59号棟地下と連結)

・61号棟1953年
(昭和28年)RC造5F鉱員社宅17戸。昭和40年代、屋上にプレハブ1階分を増築。地下に共同浴場

・65号棟1945年
(昭和20年)RC造9F鉱員社宅317戸。竣工時は北側の棟のみ、7F建て(1947年から1958年にかけて増築)。屋上に幼稚園。端島で最大のアパート

・66号棟1940年
(昭和15年)RC造4F鉱員合宿
(啓明寮)

・67号棟1950年
(昭和25年)RC造4F鉱員合宿
(単身寮)48戸

・68号棟1958年
(昭和33年)RC造2F高島鉱業所端島病院(隔離病棟)

・69号棟1958年
(昭和33年)RC造4F高島鉱業所端島病院

・70号棟1958年
(昭和33年)RC造7F町立端島小中学校1961年に7階部分を増築(鉄骨)

・71号棟1970年
(昭和45年)RC造2F町立端島小中学校体育館1階が武道場・給食室、2階が体育館

・ちどり荘1958年以降
(昭和33年)RC造2F[58]教員用住宅6戸。木造2Fとする資料も[

地獄段

軍艦島で最も有名な場所のひとつである、「地獄段」。日給住宅16号棟の横から、端島神社まで続くこの階段は、上りきるとそこがアパートの4階部分であり、非常に息が切れることから、この名があります。
そして、この地獄段付近にも、かつて多くの人が賑やかに生活をしていたのだということを、この階段や遺構たちは、語りかけているように思えるのです・・・

30号棟

波や風のはげしく当たる場所に立つ為、30号棟は採光部を中心にとる「ロ」の字型をしています。これは当時の鉱山技師たちが苦心の末、設計したものでした。
「雨水が漏れてくる」などの欠点もあったようですが、「採光」という面では、見事に成功しているように思われます。
また。吹き抜けの周りの部屋から出てきた住人達は、この吹き抜けのまわりにあった炊事場や洗面所に集まって、世間話に花を咲かせるなど、連帯意識にとっては大いにプラスとなったようです。

吹き抜けに沿った階段を上っていくと、屋上に出ることが出来ます。この屋上も、コミュニティにとって、重要な共同空間となったようですね。
大正時代、昭和初期には、下図のように、日給社宅とともに、軍艦島の堂々たる近代的な建築物でした。さしずめ、「近未来的な人工島」と言うべきでしょうか・・・

しかし、「軍艦島のブリッジ」である、30号棟も、時の流れとともに、老朽化が目立つようになります。昭和32年に建てられた左横の31号棟とは、壁の色が、こんなにも違います・・・
日本最古のRC建築の30号棟も、閉山間際には、嘱託社員さんや関連会社の人が多く入居するアパートとなっていたようです。

30号棟と並んでいた2棟。左が、「防波棟」と呼ばれ、浴場や郵便局のあった31号棟。右は、旅館やスナックなどの入っていた25号棟です。
余談ですが、30号棟の角、小さな窓の部分は共同トイレです。

景色はいいのですが、風が強い日は使用するのが、大変だったそうです。また、小さな子どもは、夜、トイレに行くのが怖かったそうで、夜中にどこかの子がトイレに出ていくと、次々に扉が開いて、用を足しにいく子どもがぞろぞろ出てきたそうです。
そんな30号棟、95年経ってもまだ、立っていられるのは、この島にあったからで、もしこれが本土であったならば、とっくに取り壊されて駐車場にでもなっていたことでしょう・・・。
軍艦島の長老として、またブリッジとして、これからもずっと立ち続けて欲しいと思います。

日給社宅

日給社宅とは、1918年(大正7年)に建設された鉱員社宅、16号棟から20号棟の通称である。「日給社宅」という名前は、当時の鉱員が日給制だったことによる(職員は当時から月給制だった)。30号棟に続いて建てられた、島内でも特に古い住宅である。同じ向きに並んだ各棟の西側(海側)が「防潮大廊下」と呼ばれる連絡通路で繋がっており、全ての階が一体となっている。地下には店舗が、屋上には公園や農園があった。トイレは各棟の大廊下側に共同トイレが設置されていた。この住宅の特徴は、大廊下があったこともあって、戸外床面積の割合が約4割も占めていたことである(同時期の同潤会アパートや戦後の公団住宅では最大で2割ほど)。

65号棟

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