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パブロ・ピカソが愛した7人の女性、作品に与え続けた大きな影響

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の作品世界を話すとき、もれなく彼が愛した7人の女性たちが登場する。 彼は情熱的に多くの女性たちと一緒に過ごしており、彼女らはピカソの作品にそっくり溶け込んでいる。 7人はピカソの作品の変化に直接影響を及ぼした非常に重要な人物である。

更新日: 2016年06月20日

up-さん

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現代美術の大きな柱であるピカソは女性からインスピレーションを得たせいか、彼の作品数はなんと4万5000点で絵画1885点、彫刻1228点、陶器2280点、スケッチ4659点と 3万点に及ぶ版画作品などを手がけた。 ピカソが愛した女性と仕事の様子を紹介する。

最初の恋人-フェルナンドゥオリヴィエ Fernande Olivier

ピカソが初めて愛した女は人妻であった。 1904年にパリで永住したときに出会ったフランス女 インフェルナンドゥオリビエはピカソのモデルであり、二人は手に負えない恋に落ちてしまう。 ピカソと同い年で、1904年(23歳)に会った。 赤黒の頭に背が高くてバランスの取れた体つきを持つ官能的な女性オリビエは常に陽気な性格でピカソを喜こばせていた。

貧しい人々の差し迫った生活を描いていた「青の時代」にオリビエに会ったピカソは 彼女の献身的助けを借りて薄暗い青色を脱いで"バラ色の時代」に変身することができる。 その白米が「アヴィニョンの娘たち」でこの作品にピカソはキュビズムを開拓した。 しかし、この時期にピカソはオリビエに背をドルリョトゴの ​​おかげで、オリビエはピカソとの すべてを清算しなければならなかった。

第二の恋人-エヴァグエルEva Gouel

肌がすごく白かった女性。 ピカソは九年にわたるペルナンドゥと同居生活に終止符を打ち、彼女を選ぶ。 体が弱かったエヴァ。 第一次世界大戦翌年の1915年12月14日この若い女性は、結核で死ぬ。

第三恋人-オルガ鼻クルロバOlga Kokhlova

<パレード>公演の時に会ったロシアダンサー、ピカソが三十六歳のときに初めて結婚をした女性である。 オルガは庶民的で快適なことを楽しんだピカソとは異なり、上流社会的な気質を持った。 彼女はピカソの最初の息子パウロを生んだが、結婚4年で夫婦関係が疎遠になる。

第四恋人-マリーテレーズヴァルターMarie Therese Walter

ピカソが四十五歳になった年である1927年当時17歳の健康で官能あふれた少女を6ヶ月間作業室に連れて来て超現実主義ときの傑作<鏡の前に立っ処女>のモデルに立てた。 フェルナンドゥとエヴァ、オルガが茶色の髪を持っていたのとは異なり、彼女は金髪だった。 彼女が二十二歳の時ピカソの二番目の子供の娘マリアを生む。 ピカソに最も創造的なインスピレーションを与えた女性だったと言われている、ピカソが死んだときに死後もピカソを守らなければならならないと自殺した女性がテレーズだった。

5番目の恋人-ドラ・マールDora Maar

1936年ピカソは親しくしていシュールレアリズム詩人ポール・エリュアールから写真家ドラ・マール(本名マルコヴィッツアンリエトロ)を紹介される。 ピカソの母国語であるスペイン語で彼と芸術を論じることができるほど知的だった。

1936年(55歳)ピカソが「ファシズムの狂気との戦いを取る時代」 彼女はピカソの「ゲルニカ」の時代を一緒にしており、この作品の制作過程全体を写真で記録した。 憂鬱な2次世界大戦の時期を一緒にした乾燥したピカソの作品で主に「泣く女」に登場する。うつ病のための心理療法を受けなければならなかったが、ピカソの友人であり、有名な精神分析学者であるジャック・ラカンの精神分析を長く受けることになった 。

第六恋人-フランソワーズジロットFrançoiseGilot

第二次世界大戦中に出会った彼女は非常に若くて美しい女流画家である。 ピカソが六十三歳の時、1945年から一緒に暮らするが、このとき、彼女は二十歳だった。 完璧主義者であり、独占力が強かったフランソワーズは、息子クロードと娘パロマを生む。 ピカソは自分の子供を素材にして魅惑的で躍動感あふれる肖像画を残した。 ここで、子供たちは、時には母の懐に抱かれた姿で、時には自分たち同士で遊ぶ姿で登場する。

後日フランソワーズは当時を率直に回想してこう書いた。
オルガ、テレーズ、ドラ・マールとの関係が続いて、彼らは継続的にピカソと私の生活の中に存在するという事実により、私は、ピカソの表現になり、それはまた、自分が収集したすべての女性個人所有の小さな博物館に展示しようとするピカソの欲望を確信するようになった。

1953年、72歳で出会ったジャクリーヌ・ロックJacqueline Roque

ピカソの末期の作品は、外在的にも暗黙的に性愛が目立つ。 このときピカソが陶芸と「古典的な作家の再解釈」に傾倒した時期であった。

ピカソが作品に専念できるように内助してくれた最後の女性ジャクリーヌ・ロックは、ピカソが72歳になった年に会った女性である。 彼女は前の夫との間に娘がいる離婚女性で、ピカソと8年間同棲した後、結婚した。 ジャクリーヌ・は料理をよく家事もよくしスペイン語で芸術家たちにも話を交わすことができた。

また、ピカソの客を楽しませてくれる魅力的なホステスの役割をした 。 ジャクリーヌ・はピカソよりも13年より住んでいた。 そして、これまで無私ピカソの複雑な財産の問題を処理した。 1986年10月15日ピカソの生誕105年を十日前に彼女はピカソの墓の前で自ら命を絶った。

20世紀の現代美術の巨匠ピカソは1973年にこの世を去った。 彼が死ぬ彼に会った多くの女性たちと子孫たちは一様に悲劇的な最後を迎えた。
ピカソが死んだという知らせを聞いてテレーズは首を毎月吊り、ジャクリーヌは1986年に マドリードの展示会を控えて拳銃自殺をした。 オルガとピカソの間の息子サンパウロは、薬物中毒で死に、ピカソの孫パヴェルリートは、 ピカソの葬儀に出席しに来てジャクリーヌは毒を食べて自殺した。

ピカソにとって女性と会話は筆 のようなもの、つまりなくてはならないし、本質的であり、致命的なものであった。

最初の恋人だったオリビエビーズマイヤーピカソは、後にこう回想したという。
果たしてピカソの恋人たちは、ピカソの絵画で筆のような存在だったのか....

ピカソと恋人たちについては、2本の映画にも出てきた。 最初のは、1956年にアンリジョルジュクルー趙監督の ドキュメント・リーThe Mystery of Picasso(ピカソ出演)は、 カンヌ映画祭審査員対象。 ベニス映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受け、第二の映画は、1996年にジェームズ監督のSurviving Picasso(アンソニー・ホプキンス出演)である。

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