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クレオパトラ (世界史を大きく左右した圧倒的美貌の生涯)

絶世の美女というワンフレーズが一人歩きするクレオパトラ7世であるが、その生涯を知ると、時折浮上する「クレオパトラの容姿そこそこ説」は否定せざるを得ない。

更新日: 2018年12月29日

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来栖崇良さん

プトレマイオス朝の王位

後世の人類が「絶世の美女クレオパトラ」と称するクレオパトラ7世フィロパトルが、生まれたプトレマイオス朝エジプトは、地中海世界屈指の大都市アレクサンドリアを首都におき、ヘレニズム文化の中心として栄えていた。



プトレマイオス朝は血族結婚を繰り返し、兄妹・姉弟の夫婦で王位を継ぎ、共同統治するのが慣例であったが、共同統治でさえあれば男女に限定はされず母娘での女王二人体制も存在した。

弟プトレマイオス13世(共同統治者)と思想の不一致

クレオパトラ7世が18歳の時、父の遺言とプトレマイオス朝エジプトの慣例に従い、兄弟で最年長のクレオパトラ7世と弟プトレマイオス13世が結婚して二人で王位に就く。





この頃、プトレマイオス朝エジプトでは、地中海世界で圧倒的な国力を持つローマとの関係を巡って、相いれない二つの政治的主張が存在していた。

プトレマイオス13世は、反ローマ主義。

国民への重税につながる強国ローマへの貢納をすべきでなく、例えローマの侵略によって国家が滅ぼされる可能性があっても、ローマには決して屈しないというもの。

クレオパトラ7世は、親ローマ主義。

重税に対する国民の不満が出ようとも、ローマの属国に成り下がろうとも、侵略されないように立ち回って、国家を生き残らせるというもの。

アレクサンドリア住民が親ローマ主義のクレオパトラ7世への反乱を起こす。




プトレマイオス13世はその世論に乗ってクレオパトラ7世をアレクサンドリアから追い出した。

一方、ローマでは人類史的な重要度MAX「ファルサルスの戦い」が決着する。

ポンペイウス派とカエサル派によるローマの内戦が「ファルサルスの戦い」が決着する。

カエサルが勝利し、敗れたポンペイウスはエジプトへと逃亡する。



しかし、ポンペイウスはプトレマイオス13世によって暗殺される。



続いて、ポンペイウスを追ってきたカエサルがエジプト入りする。

プレゼントはワタシ

クレオパトラ7世はカエサルとの接触を望むものの、プトレマイオス13世派で埋め尽くされている王宮でカエサルに会うのは不可能に思われた。




そこで、クレオパトラ7世は自らを絨毯に包んで、カエサルのもとへ贈り物として届けさせる。




古代エジプトでは、贈り物や賄賂として宝物を絨毯に包んで渡す習慣があった。「プレゼントはワタシ」そんな意味にも解釈できる行為である。



クレオパトラ7世は、なんともエロチックなメッセージと共にカエサルとの接触に成功する。

クレオパトラ7世の美貌、敵の中枢に単身侵入する豪胆さ、危険な目的にさえ遊び心を持たせるセンス、カエサルはそれら全てに驚愕し一瞬でクレオパトラ7世に魅了された。

紀元前47年、カエサルはエジプトに対して姉弟の共同統治に復するよう裁定する。






しかし、プトレマイオス13世は、カエサルの愛人となったクレオパトラ7世の発言力が増すことは目に見えていたため、玉砕覚悟でカエサル軍を攻撃した。





歴戦の雄カエサルにかなうはずもなく、敗れたプトレマイオス13世はナイル川で溺死することになった。

プトレマイオス13世と結託し、クレオパトラ7世と敵対していた妹アルシノエ4世はローマ軍の捕虜となり、ローマで行われたカエサルの凱旋式で戦勝記念の見世物にされた。



カエサルの後ろ盾を得たクレオパトラ7世は、もう一人の弟プトレマイオス14世を共同統治者にし、女王に返り咲く。

クレオパトラ7世はカエサルの子カエサリオンを産む。

紀元前46年


カエサルが10年間の独裁官に任命され、凱旋式を挙行した頃、クレオパトラ7世はカエサリオンをつれてローマを訪れた。



クレオパトラ7世は、カエサルの庇護のもと目立たぬ形でローマに滞在していたが、紀元前44年にカエサルが暗殺される。

エジプトを守ろうとした女に、ローマ帝国を創造した男を理解することは出来なかった。

カエサルが暗殺されると


クレオパトラ7世は、カエサリオンが嫡子のいないカエサルの後継者となることを望んでいたが、カエサルは遺言書で養子であり大甥(妹の孫)でもあるオクタヴィアヌスを後継者と定めていた。


クレオパトラ7世は、カエサリオンを連れ急遽エジプトに帰る。

紀元前42年


カエサルを暗殺した一人ブルトゥスらと、カエサルに後継者指名されたオクタヴィアヌスらが「フィリッピの戦い」で決戦する。



クレオパトラ7世はブルトゥスらを支援するが、勝利したのはオクタヴィアヌスらであった。




オクタヴィアヌス側のアントニウスは、敵を支援したクレオパトラ7世に出頭を命じた。

ピンチは美貌でチャンスに変える

クレオパトラ7世は女神アプロディーテーのように着飾り、香を焚いてムードをつくって、アントニウスのもとへ出頭した。


そうして、瞬く間にアントニウスを魅惑し、危機を乗り越える。

クレオパトラ7世とアントニウスの間に双子の男女が生まれる。


男児にはアレクサンドロス・ヘリオス(あのアレクサンドロス大王&ギリシア神話の太陽そのものヘリオス)

女児にはクレオパトラ・セレネ(自身と同じクレオパトラ&ギリシア神話の月そのもの)


という大層な名前がつけられる。



紀元前36年、さらにプトレマイオス・ピラデルポスという男児を産む。

クレオパトラ7世と人生を添い遂げる事を望んだアントニウスは、妻であったオクタヴィアヌスの姉オクタウィアと離婚する。



アントニウスはアルタクシアス朝アルメニア王国を攻撃して国王アルタウァスデス2世を捕虜とし、その凱旋式をローマではなくエジプトのアレクサンドリアで挙行した。



さらに、アントニウスはエジプトでの埋葬を希望するなど、クレオパトラへの傾倒にともなってエジプト色が強くなっていく。

アントニウスとオクタヴィアヌスによるローマの覇権争いは「ローマ対エジプト」という構図に矮小視されていく

紀元前31年、アントニウス派およびプエジプトの連合軍と、オクタヴィアヌス派が、ギリシャ西岸のアクティウムで激突する。



この天下分け目の決戦には、クレオパトラ7世も自ら主力艦に乗り込んだ。

アントニウス・クレオパトラ連合軍は戦力的には上回っていたが…

両軍が少し交戦したとたんに、クレオパトラ7世の艦隊が戦線を離脱するという珍事が発生した。

さらにアントニウスもクレオパトラ7世を追って撤退する。

指揮官を失った連合軍は、命令系統を失い、烏合の衆と化し、ただただ逃げ惑いながら殺戮されるだけとなった。

アントニウスは自殺し、クレオパトラ7世の腕の中で息を引き取った。



そして、追ってきたオクタヴィアヌスがアレクサンドリアに到着すると、クレオパトラ7世はアントニウスの後を追うように、コブラに胸を噛ませて自殺した。

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