出典 来栖崇良さんがアップロード

マリー・アントワネットとの対立

フランス宮廷に入ったデュ・バリー夫人は、その頃オーストリアからフランス王太子(後のルイ16世)に嫁いできたマリー・アントワネットと犬猿の仲になる。



マリー・アントワネットは娼婦や愛妾が嫌いな母マリア・テレジアの影響を強く受け、デュ・バリー夫人の出自の悪さや存在を汚らわしく思い、不衛生なものを避けるように徹底的に無視し続けた。



加えて、かねてからデュ・バリー夫人と対立関係にあったルイ15世の娘であるアデライード王女、ヴィクトワール王女、ソフィー王女らが、将来の王妃マリー・アントワネットを味方につけようと画策したことで、その対立は深くなっていった。

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