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絶世の美女10選 (人類史上)

人類史に名を残した絶世の美女10人をまとめました。この中のほとんどが、きっと、1000年後の人類でも美女として語り継がれているのではないかと思います。

更新日: 2017年06月18日

来栖崇良さん

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※番号は順位ではありません。出生の早い(古い)順に並べました。

1.クレオパトラ7世フィロパトル

人類史上屈指の大物ローマのユリウス・カエサルを魅了し、カエサルの死後は、自分を愛したアントニウスと共に地中海の覇権と祖国エジプトの存亡をかけてオクタヴィアヌスと対決する。

敗れたクレオパトラは自害し、約300年つづいたプトレマイオス朝エジプトは滅ぼされた。


絶世の美女の代名詞としてのイメージから脇に置かれがちであるが、その生涯が人類史に与えた影響は絶大。

2.楊貴妃 (揚玉環)

中国史上屈指の輝かしい時代を支えた文武両道の名君であった玄宗皇帝が、楊貴妃を愛したとたんに国家運営をそっちのけで楊貴妃のためだけに生きた。


政治を放棄した玄宗皇帝と、出世した楊貴妃の親戚達の目に余る横暴は、やがて反乱へと繋がった。


多芸な楊貴妃は中でも踊りが得意で、しなやかな体で天女のように舞うと香料の香りがほどよく漂ったという。

3.小野小町

平安時代前期の女流歌人であり、六歌仙、36歌仙の一人に選ばれていること以外は、出生も、生い立ちもハッキリせず、墓は日本全国10ヶ所以上が候補に上がっている。


「百夜通い伝説」
小野小町に恋をした深草少将(ふかくさのしょうしょう)が恋文を送ると、小野小町はあきらめさせるために自分のところに100夜通うように伝える。深草少将は会えず話せず、雨の日も風の日もただただ通い続け、99日目の雪の降る夜に過労で倒れて死んでしまう。

4.ルクレツィア・ボルジア

好色で政治腐敗と不品行に堕落したルネサンス期ローマ教皇の典型例と言われた父アレクサンドル6世と、冷酷な政治家であり軍人でもあった兄の政治の道具として生きさせられた。

13歳で最初の結婚をするが夫に政治的利用価値がなくなると離婚させられ、18歳の頃に恋人が父と兄に殺され、2度目の結婚では政治的利用価値のなくなった夫が暗殺され、21歳でフェラーラ公の息子アルフォンソ1世と3度目の結婚、相性の合わない夫に耐えながら39歳で出産後まもなく母子ともに死亡。

5.ヒュッレム・ハセキ・スルタン (ロクセラーナ)

貧しい田舎生まれの少女は裸にされ、奴隷市場でセリにかけられた。目立って美しかったヒュッレムは、オスマン帝国皇帝スレイマン1世のために帝国NO.2のイブラハムに購入される。

スレイマン1世の寵愛を受けると、次々にライバルを陥れ、奴隷出身ながら皇后となり、息子を帝位に就かせた。


スレイマン1世からの寵愛を背景に、オスマン帝国の慣例や慣習を打破し、以降の政治体制に多大な影響を与えた。

6.ベアトリーチェ・チェンチ

名門貴族という立場を盾に罪に問われることのなかった父は、街中で家庭内で暴力沙汰を起こし、ベアトリーチェは度々強姦にあった。
耐えかねた一家は、父を殺害する。
相続人を滅殺してチェンチ家の財産没収を目論んだローマ教皇は、殺人動機への情状酌量を一切せず、一家には死刑判決が下された。

処刑を控えたベアトリーチェの肖像画で、頭にターバンが巻かれているのは、斬首の際に、髪の毛で斧が滑らないようにである。

7.マリア・テレジア

男子の兄弟がいなかったため、長女としてヨーロッパ随一の影響力を誇る名門貴族ハプスブルク家の当主を継ぐ。

軍事の天才フリードリヒ2世の新興国プロイセンからの侵攻に対抗するため、長年の敵対関係にあったブルボン家のフランスと同盟を組んだ。


フランスとの同盟を強固なものにするために、末娘マリー・アントワネットをルイ16世に嫁がせる。

8.マリー・アントワネット

マリー・アントワネットは、確かに派手好きで贅沢で浪費家であったが、フランスの財政は過去の王達が愛人を多数囲って使った膨大な金と、戦争による巨額の支出で、先代ルイ15世の時代には既に傾いていた。



マリー・アントワネットは、ハプスブルク家のためにオーストリアからフランスに嫁ぎ、ブルボン家による圧政と散財を清算するためにフランス市民から処刑された。

9.デュ・バリー夫人

娼婦同然の生活から多くの男達に愛され、次第にベッドを共にする男の身分が高くなっていき、ついにはフランス国王ルイ15世の愛人として宮廷夫人になる。

フランス革命が起こると、一度はイギリスに逃れるが、革命政府に差し押さえられた自分の財産を回収しにフランスに帰国した際、革命派に捕えられてギロチン台へ送られる。
私生児として生まれ、娼婦として生き、宮廷内で侮蔑され、デュ・バリーにとって財産は多くの男達に愛された証であった。

10.タチアナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァ

生活苦を訴えるデモ隊に対して警備兵が発砲をし4000人の死傷者を出した「血の日曜日」に始まり、日露戦争の敗北、第一次世界大戦への参加など、ロシア市民のロマノフ朝に対する怒りはロシア革命となった。


ロシア革命で権力を掌握したウラジーミル・レーニンの秘密警察によって、タチアナは家族・従者らと共に21歳の若さで銃殺された。

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