そこで徳川家康は、当時最先端の長距離砲を使用し、一方的に大坂城を砲撃し続けたのです。
大坂城にも大砲が配備されていましたが、射程で劣っていました。日々降り注ぐ砲弾に脅え続け、ついに耐え切れなくなった豊臣軍は徳川と和睦し、「大阪冬の陣」は終結しました。

出典真田幸村の大舞台!「大坂夏の陣」で見せた最後の勇姿

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【ヒストリア】大阪夏の陣で散った英雄・真田信繁の最期~日本一の兵(つわもの)~

三度に渡る徳川家康本陣への突撃。三方原の戦い以来倒れたことのない馬印が倒れるその猛攻に、徳川家康が何度も切腹を口走る。後日島津家久から「日ノ本(ひのもと)一の兵(つわもの)」と賛辞を贈られた男の中の男の最期に迫る。2016年大河ドラマ「真田丸」で描かれる武士の本懐が楽しみです!

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