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硝子の作り方 まとめ

ガラスの作り方 簡単~難しい(古代~近代)とんぼ玉作成ガラス製造の方法 ガラスの歴史

更新日: 2016年07月06日

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ss160さん

ガラスには、いろいろな種類があり、その種類によって材料も少しずつちがっています。

基本となる材料はケイシャ、ソーダー灰、石灰石の3つ

主に石英粒からなる砂。花崗岩(かこうがん)などの風化で生じる。珪石を粉砕した人工珪砂もある。ガラスの原料、鋳物砂、研磨材に使用。石英砂。けいさ。


☆砂場の砂をよく見ると、透明(とうめい)でキラキラ光っている、ガラスのかけらのようなものがありますね。あれがケイシャです。

重曹(炭酸水素ナトリウム)をフライパンに入れて、弱火から中火で加熱するとだんだん重曹の外観が変わって、灰のような感じになってくると思います。完全に変わったと思ったら、これでソーダ灰のできあがりです。加熱によって炭酸水素ナトリウムから二酸化炭素が出て、炭酸ナトリウムに変化したのです。

☆重曹は2種類有り、トロナや塩水といった天然資源から精製する方法の『天然重曹』とソルベー法等の化学合成による『化学合成』塩化ナトリウム溶液の電気分解で得られた水酸化ナトリウム溶液に二酸化炭素を反応させて製造するが有る。

石灰石(せっかいせき、limestone)は、鉱物である方解石・霰石、あるいは岩石である石灰岩・結晶質石灰岩(大理石)を、資源として扱うときの鉱石名または商品名。

① 5000年以上も前の、最も古いガラスの作り方

今からおよそ5000年以上も前の、最も古いガラスの作り方は、砂で型を作り、そこに溶けたガラスを流し込んでかたまりにする方法だった、といわれておる。この頃のガラスは、原料に鉄分などが混ざっていたり、ガラスの原料を溶かす温度が低く、内部に気泡がたくさん残ったりしたため、透明ではなかった。しかし、きらきらと輝くガラスのかたまりは、宝石にも匹敵する貴重な宝ものとしてあつかわれていた

② 古代ローマの鋳造法 2000年以上前

鋳造法とは、溶かしたガラスを鋳型(いがた)に流し込んで成型する方法じゃ。まず砂型を作り、そこに溶かしたガラスを流し込み、冷やすと、ガラスができ上がる。古代ローマ時代には、この方法で作られた板状ガラスが建物の窓に使われていたといわれる。窓用板ガラスの誕生である。板ガラスといっても、ぶ厚く、完全に透明なものではなかったが、建物の開口部にガラスをとりいれようとする試みは、この時代から始まっていた。

③紀元前1世紀頃 ローマ時代

紀元前1世紀頃にフェニキアのガラス職人が開発したといわれる画期的なガラスづくりの技法。当時のローマで盛んに行われた方法じゃ。型にガラスを流し込むのではなく、口で空気を吹き込んで作るのでこの名前がついた。より薄いガラスが、より簡単に作れるようになり、自由な形や装飾も可能にしたガラス成形の基本。ただし、この方法で、板ガラスを作ることはムリでした。

吹きガラス技法には、空中で息を吹き込む「宙吹き」と、型に入れて空気を吹き込む「型吹き」がある。そして、吹きガラスのはじまりは、「型吹き」だったといわれている。模様をつけた型に溶けたガラスを流し込んで、パイプで息を吹き込む。すると、凹凸が逆になった模様がガラスに写しとられる。ローマ時代には、石や粘土の型がさかんに使われていたようだ[現在では金型が一般的]。一方、「宙吹き」が確立されてからは、さらに簡単に、さらに早く、ガラス製品が作れるようになった。

吹きガラス技法によって、ガラスは光を通すという特徴を持った。つまり、一歩透明に近づいたのだ。それまでの方法では、ぶ厚くて透明度の低いガラスしか作ることができなかった。透明に近づいた理由は、より薄いガラス器が作れるようになり、光が通りやすくなったため。そして、ガラスを溶かす窯(かま)が進歩し、より高温でガラスを作れるようになったので、ガラス内の空気の泡や不純物が少なくなったから。また、原料の工夫もあったのだろう。このように薄くて、まじりものが少なくなったため、ガラス器はより透明なものに近づいた。とはいっても、ガラスの向こう側がはっきりと見える本当に透明なガラスには、まだまだほど遠いものだった。

紀元前後頃から5世紀頃までにかけて、ローマ帝国は広大な領土を持ち、広い範囲で交易を行っていた。そのために、ローマで確立された吹きガラス技法は、地中海地方、北欧、東欧、そして西アジアやインドあたりにまで広がったといわれている。そして、この技法と伝統技法を組み合わせた、各地域特有の優れたガラスが生まれた。代表的なものに、ヨーロッパの「ローマン・ガラス」「ヴェネチアン・ガラス」、西アジアの「ササン・ガラス」、そして「イスラム・ガラス」などがある。

③ クラウン法 4~7世紀 シリア

クラウン法は4~7世紀頃、シリア人が発明したといわれる板ガラス製造方法の草分けで。吹きガラス技法をベースに、遠心力を利用し円盤状のガラスを作ることに成功した。といっても、初期のものは、ビールびんの底のような小さなものだった。また表面はでこぼこで、中央にはヘソのようなポンテの跡が残った。つまり現代のような平らな板ガラスではなかったが、この製法をきっかけに、窓にもガラスが多く使われるようになったといわれている。

クラウン法で作った円盤状のガラスには、中央にポンテ[さお]の跡が必ず残る。つまり円盤のまん中部分に、でっぱりが残ってしまう。また、遠心力を利用して円盤状のガラスにするため、まん中部分に、でっぱりが残ってしまう。そのため、窓ガラスとして使うと、外の風景がゆがんで見えたりしたようだ。現代の板ガラスと比べると、このような欠点はあったものの、クラウン法は、板ガラスを窓に使いたいという当時の人々の願いをかなえた画期的な製法だったにちがいない。

また、クラウン法が始まった初期の頃は、ビールびんの底のような、小さな円盤しか作れなかったため、これをステンドグラスのように鉛の枠でつなぎ合わせて窓にはめ込んだりしていた。このような窓を「ロンデル窓」という。肉厚で、しかもまん中が出っ張っているため、外の景色をはっきり見ることはもちろんできなかった。しかし、窓から差し込む光は、厚いガラスでやわらげられ、ポンテ跡によって思いがけない屈折を生み、室内に表情豊かな光の演出をもたらした。

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