1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

makkarockさん

エリート2世

東京都出身。
父は農林官僚で参議院議員を務めた増田盛(ますだ さかり)。
九品仏の農林省官舎で育つ。父が退官したのちは小山台に転居。

高校時代のエピソード

東京都立戸山高等学校に進学。
卒業式では仲間とともに壇上で暴れ、式を中止させた。

官僚時代

1982年から千葉県警察本部交通部交通指導課長に出向。
射撃訓練に熱中し、柔道段位も取得。
1986年から茨城県企画部鉄道交通課長。4年半首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス建設の準備を進めた。
1993年から建設省河川局河川総務課企画官。

政界進出

1994年岩手県知事選出馬を決意。
1995年に当選。
岩手県知事在任中、宮城県知事の浅野史郎や三重県知事の北川正恭、高知県知事の橋本大二郎などと、改革派知事の代表格になる。
第1次安倍改造内閣、福田康夫内閣、福田康夫改造内閣では知事出身の民間閣僚として地方再生に取り組んだ。

政策

日韓関係について
2011年10月、日韓グリッド接続構想を提唱。海底ケーブルを介し、韓国に電気を直流送電する。電力を融通できる体制を整えておくという構想。「2015年から20年までの間にめどを付けたい。そのためにも、できるだけ早く韓国との協議を始めたい。」と述べた。

移民について
2014年5月28日、「最終的には国全体の単位で、外国人の受け入れを促進するのがいいのではないだろうか。」
「若い外国人にとって魅力的な環境を作って、外国人の受け入れで地域の活性化を図る方法が唯一の合理的な生き残り策」

道州制支持
地方分権に極めて積極的なスタンスを取った。「国→都道府県→市町村」への権限委譲を主張し、全国知事会会長選挙に立候補して「闘う知事会」を主張。道州制導入に積極的な態度を示し、実際に働きかけてもいた。

県知事としての成果

箱もの財政で県財務ひっ迫。
岩手県知事を3期12年務め、その間、岩手県の公債を6千億円から1兆2千億円に倍増させた。「増田さんは岩手ではハコものや工場を造ったが、結局、うまくいかなくて、借金ばっかりつくって、すたこらいなくなった。今、岩手県ではその処理をやって大変です」

県庁株式会社
増田は県政を企業経営に見立て、県庁を「県庁株式会社」呼ぶなど、政策に効率を持ち込んだ。
サービス会社=県庁と、顧客=県民という二項対立図式に基づく地方自治理念の改革論者として知られる。しかし、構想のほとんどは実行されず、単なる掛け声に過ぎなかった。

出典岩手日報特集「検証増田県政」

がんばらない宣言
ベストセラーになった鎌田實の「がんばらない」をいち早く取り入れて宣言を出した。
「岩手県は、経済成長一辺倒を反省し、より自然に、素顔のまま生きていけるような取り組みを推進します」(県の出した広告より)
ただし、内向けには「がんばります」がスローガンとなっている。

公共投資
任期前半、積極的な公共投資を行い、任期後半に、財政再建に舵を切った。任期前半は、国が景気対策の公共投資を推進した。

出典「読売新聞」2007年3月13日

知事外交
積極的に海外視察を行った。フィンランドではノキアを、スウェーデンではエリクソンをそれぞれ短い時間ではあるが訪問した。
バリ島の観光視察、ニューヨーク岩手県人会との懇談、パラグアイ訪問、イグアスの滝でイグアス岩手県人会の懇談など、外交をした。
県内企業の輸出は停滞し、県内主要港湾からの輸出額がゼロの年すらあり、知事の姿勢が批判された。3期目の後半に中国大連との交易が活発になった。

出典平成13年6月定例会第10回岩手県議会定例会会議録(第5号)平成13年7月4日

政治資金問題
2007年9月8日、岩手県知事時代の政治団体が、同氏の資金管理団体に寄付した100万円について、資金管理団体が領収書を発行しながら政治資金収支報告書に記載していなかったことが分かった。
増田氏は同日、記者会見を開き「100万円は(2003年4月の県知事選の選挙運動費用として)私個人に対するものだったが、領収書の書き方が誤っていた。選挙運動費用収支報告書には記載、報告がなされている」と、事務処理上の単純ミスであると説明した

1