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【変人?】哲学者・ウィトゲンシュタイン【その人生】

20世紀最大の哲学者とも言われ、また「世界の変人代表」とも言われることもある哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン。そんな彼のエキセントリックな人生をご紹介。

更新日: 2016年07月15日

グラシオさん

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どんな哲学者なのよ?

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 - 1951年4月29日)は、オーストリアのウィーンに生まれ主にイギリスのケンブリッジ大学で活躍した哲学者である。後の言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。

西洋哲学史の本には必ず出てくる人で、数学者ゲーデルが思考の形式論的限界(外的構造)を示したのに対し、意味論的限界(内的構造)を示しました。
前期の「論理哲学論考」と、それを自ら批判した後期の「哲学探究」との時期に、その立場は分かれ、「語りえないものとは何か」「意味とは何か」を一貫して問い続けました。

…はい。率直に言いますと、彼の哲学体系は非常に高度かつ難解なもので、「まぁ要するにこんなもんだよ~」と総括するのは至難の業であります。
 
 ここでは彼の哲学者としての業績は置いておいて、人としても頭一つ抜けていた彼の人生のエピソードなどを紹介します。

誕生~学生時代

この頃から尋常じゃない眼力

ウィトゲンシュタインは4歳になるまで言葉を話すことができず、その後も重度の吃音症を抱えていた。

いわゆる天才には生まれて言葉を中々話せない人がいますが、彼もその一人でありました。
(アインシュタインもあまり言葉を話さなかったと言われています。)

技術面の教育に重点を置いたリンツの高等実科学校(レアルシューレ)で3年間の教育を受けた。このとき、同じ学校の生徒にはアドルフ・ヒトラーがいた。

奇しくもヒトラーと同い年であり、同じ学校の学生であった時期がありました。
しかし二人に接点は無かったようです。

工学の博士号を取得するために、マンチェスター大学工学部へ入学した。

哲学者は数学など様々な分野で活躍している人が多いですが、ウィトゲンシュタインも例に漏れなかったようです。
ちなみに新型プロペラの設計に携わり、特許も取得したそうです。

その後彼は工学から数学の方へと関心がうつり、同じく哲学者・数学者として有名なバートランド・ラッセルのもとで論理学の研究を始めます。

イギリスの哲学者・論理学者・数学者。
「ラッセルのパラドックス」を発見し、当時の論理体系をひっくり返した凄い人。アリストテレス以来最大の論理学者の一人である。
また、核廃絶運動の活動家としても知られ、さらには数学者でありながらノーベル文学賞を受賞している。

ウィトゲンシュタインの良き理解者の一人。

父の死によってウィトゲンシュタインは莫大な資産を相続したが、彼はその一部を匿名でオーストリアの芸術家に寄付した。

ちなみにこれ以外の遺産はすべて”億万長者の”姉に渡したとか。
彼曰く「金は腐る、だから腐った連中にくれてやるのが一番だ」と。

ノルウェーの山小屋に隠遁し、第一次世界大戦が始まるまでの全生活を研究に捧げた。

遺産を放棄した後のことです。
哲学者と云えどここまで徹底して研究に身を注いだのは彼くらいなのでは。

第一次世界大戦にて従軍

1914年、第一次世界大戦が勃発し、8月7日にウィトゲンシュタインはオーストリア・ハンガリー帝国軍の志願兵になっている。

たしかデカルトも志願兵になっていましたが、ウィトゲンシュタインの場合、この経験が大きな糧となります。

このころから彼は哲学的・宗教的な内省をノートに頻繁に書き留めている。

軍隊で仕事しながらも脳内ではヌルヌルと新しいアイデアが浮かんでいた彼。
塹壕の中ですら思考にふけっていたとか。

対ロシア戦の最前線に砲兵連隊の一員として配属される。ロシア軍の猛攻撃のさいには避難命令を斥けてまで戦い抜いた功績で勲章を受け、伍長へ昇進した。

自ら志願して危険な前線への配属を希望したようです。
「死に瀕する経験ほど、人を人らしくする経験はない」という信念に従ったとか。

哲学者、やめます

『論考』の前書きでも自負しているように、ウィトゲンシュタインは、この本を書き終えた時点で、哲学の問題はすべて解決されたと考え、ラッセルやオグデンらが刊行準備に奔走しているのを尻目に、哲学を離れてオーストリアに戻り、出征していたころから希望していた教師になるため、1919年9月から1920年7月まで教員養成学校へ通い、小学校教師資格証明書を取得する。

それまでの思想を一気にまとめあげた著書「論理哲学論考(=論考)」を書き上げたウィトゲンシュタイン。これを以って哲学の問題については「すべて解決」って…これだけでも呆気にとられるわけですが、なんと今度は突然小学校の先生に。いや、良いんですけどね…ただ「哲学者 → 小学校の先生」って転職が珍しすぎて…(おそらく本人には自分が"哲学者"なんて自覚は無かったのでしょうが)

小学校教師の日々

理科の授業では、猫の骸骨を生徒と集めて骨格標本を作ったり、夜に集まって天体観測をしたり、自分の顕微鏡で道端の植物を観察させたりした。

ウィトゲンシュタインの教育方針は、紙の上の知識よりも、子供たちが自分で好奇心をもって見聞を広めることを重視したものであった。

もちろん面白半分で教師になったわけでなく、熱心に指導にあたっていたご様子。
こんな先生いたら普通に嬉しいですね。

しかし、こうしたウィトゲンシュタインの熱意は、地元の父兄には理解されることなく、両者の間の溝はますます深まり、狂人だという噂まで広がった。

彼は大変厳格な教師でもあったそうで、体罰をふるうこともしばしばあったそうです。

4月28日、彼は辞表を提出した。

例のように体罰をふるったところ、その生徒がその場で気絶してしまう事態に。
これがきっかけとなり、彼は保護者らのバッシングの中、教師を辞めることに…

哲学は…?

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