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「田中角栄」人たらし伝説

今もなお、人々を魅了して止まない器量人「田中角栄」まとめ

更新日: 2016年07月19日

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k-beingさん

田中 角榮(たなか かくえい、1918年(大正7年)5月4日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、日本の政治家、建築士。

衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)

内閣総理大臣(第64・65代)等を歴任した。

人たらし伝説1

田中が初出馬の時、進歩党の大麻唯男から300万(現在の価値で15億)もの資金調達を頼まれ、用意した。以後大麻は田中に頭が上がらなくなり、次回の選挙のとき公認した。

人たらし伝説2

田中派の一回生議員が美人局に遭い、解決のために多額の金銭が必要となってしまった。様々なツテに頼ったがどうしても100万円(現在の価値では3倍以上)足りない。

選挙を終えたばかりで借金のあった議員は万策尽き、田中の事務所に電話をかけて借金の申し込みをした。

事情を聞いた田中から「分かった。すぐに金を用意するから取りに来るように」と言われ、急いで事務所に向かうと、田中本人は急用で外出していた。

その議員は留守番の秘書から大きな書類袋を受け取り、その中身を確認すると300万円が入っており、同封されたメモには以下のように書かれていた。

「トラブルは必ず解決しろ。以下のように行動しなさい。
 1. 100万円を使ってトラブルを解決すること。
 2. 100万円を使って世話になった人に飯を奢ること。
 3. 残りの100万円は万一のトラブルの為に取って置くように。
以上、これらの金は全て返却は無用である」

その議員は感涙し、後々まで田中への忠誠を守り通した。

人たらし伝説3

派閥が違う上に田中とほとんど面識のない議員が資金繰りに窮し、田中の事務所に来て300万円の借金を申し込んだ。

田中は、わざわざ派閥の違う自分にまで助けを求めねばならないほど追い詰められている相手の窮状を察し、その日のうちに金を用意し、「困ったときはお互い様だ。この金は返さなくていい。俺が困ったとき頼む」と言って、その議員に紙袋を渡した。

その議員が、後で紙袋の中を確認すると、500万円が入っていた。実は、その議員は、田中に遠慮して、借金を申し込む際の金額を300万円としていたものの、実際には500万円を用意しなければならない状況であった。

その議員は、田中に忠誠を誓った。

佐藤栄作への献身

田中は、佐藤栄作に仕えて、3回破産したといわれている。

佐藤首相との関係は、ほとんど主人と奴隷のようなもので、徹底的に尽くし恩を売っていた。そして、そこまでの佐藤政権への支えがあってこそ、次期総理の座をつかんだといえる。

人事に関する英断

郵政大臣に就任した直後、田中が郵政庁を視察すると、職員は、昼休みとはいえ麻雀にふけったり、机の上に足を投げ出したりしていた。

そして、こうなっている原因を調査すると、省内が二大派閥に割れていることが判明したので、二大派閥のボス同士を人事異動で勇退(更迭)させた。

人のミスの責任を取る

大蔵大臣時代、1963年度の所得税法改正の審議の際、担当官僚の大蔵省主税局税制第一課長であった山下元利のミスで、誤った税率表を使っていた。

審議中であったために、訂正は不可能であったうえ、大事な箇所にも誤りがあり、その税率表を作成した役人たちは青くなっていた。

これをマスコミや他の党が黙っているはずがなかったが、山下がこのことを辞表を忍ばせ田中の元に訪れると、笑いながら「そんなことで辞表は出さなくていい」と改定表を持ち、堂々と「先日提出の表には間違いがございます」と何食わぬ顔で訂正した。野党もマスコミも沈黙したままであった。

もちろん田中が裏で手を回したのは言うまでもない。このように責任をかぶるということをためらわずし、想像もできないアイデアを出すため、田中を慕った官僚は非常に多い。

敵に塩を送る

田中は、中曽根とあまり仲がよくなかった。ある時、中曽根が外交のため中国訪問を希望しているという情報が田中に伝わってきた。

すぐさま中曽根へ中国の要人への紹介状をしたためて送り、中曽根は大喜びした。

大胆不敵

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