また、通信隊(千早隊)としても活動しました。
 無線もありましたがあまり役に立たず、陣地と陣地の連絡のために有線(電話)を敷いた。しかし、何キロもの長い距離を有線を土中深くに埋めていくような余裕はなく、次々と砲弾が撃ち込まれてはあちこちで断線する。その断線を修復しに出るのも「千早隊」の役目でした。砲弾の降る中を駆け抜け修理して回るが、切断される数が多い。爆死する者も居る。結果として、千早隊に多くの犠牲を出しながら、有線がつながって通話ができたのは、1日のうちでせいぜい30分位だったという。
 そうなると、千早隊は、今度は「伝令」として砲弾の雨に飛び出していく任務となる。
同じ内容を書いた手紙を3~4人に持たせて、砲弾、爆弾の中を他の陣地まで走らせます。そのうちの1人が生きてたどり着けば「伝令成功」というような使われ方もした。

 砲弾、爆弾は、雨のように1日中、空から降ってきました。その中を走り抜けていくのです。
 砲弾、爆弾は、爆裂すると、とがった無数の鉄の破片が、銃弾のように飛んできます。それに当たらないようヒュルル~と砲爆弾の飛んでくる音がしたら岩かげなどに隠れます。隠れるのが遅ければ体がバラバラになって死ぬことになります。
大きな1トン爆弾ともなると、300m離れたところで爆裂した鉄の破片が銃弾の速さで飛んできます。

 戦闘機からの機銃掃射や歩兵の機関銃や手りゅう弾で狙われることもあります。(機銃掃射の弾は単3電池くらいの大きさで、先のとがった鋼鉄の弾が1秒間に何十発も撃ち込まれるのです。人間の体なんてひとたまりもありません)

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