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「相模原障害者殺傷事件」とドイツのナチス「T4作戦」

神奈川県相模原市の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害された事件で、逮捕された元職員・植松聖容疑者(26)。今年2月、精神科の病院に措置入院していた際、医師に対し「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたことがわかった。

更新日: 2016年07月28日

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syatohanさん

◎戦後最悪…相模原市の障害者施設で刺傷事件

神奈川県相模原市の障害者福祉施設で入居者らが刺され19人が死亡、25人が重軽傷を負った事件

戦後に発生した刃物を使った大量殺人事件としては、最悪レベルの犠牲者数とみられる。

◎容疑者が親しい友人に送ったメッセージ

植松容疑者は今年2月17日、親しい友人に対し、無料通信アプリ「LINE」を通じてあるメッセージを送っていたことが分かった。

そこには「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」「人の形をしているだけで、彼らは人間ではありません」(原文ママ)などと書かれていた。

現在この施設に長期入所しているのは先月末時点で18歳から75歳の男女149人。全員が知的障害者で、中には身体障害や精神障害がある人もいるとのことです。

先に言うと、相模原の犯人は『ナチス思想』と言うわけでは無いのかもしれない。 ただ、それに 凄くよく似ていると思う。

障害者施設の犯人の思考がヒトラーのT4作戦と被る。

◎この事件から連想された過去ドイツのナチス「T4作戦」

障害者の差別や排除からナチスが優生学思想に基いて障害者らを安楽死させていったT4作戦までは半歩の距離もありません。

◎ナチス「T4作戦」とは…?

ドイツでは障害のある人たちは「生きる価値がない」とされ、多くの障害者や病人が殺されていたのでした。

アドルフ・ヒトラー及び国家社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP、ナチ党) 支配下の独裁政治であった、1933年から1945年までのドイツ史における期間である。社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強制される全体主義国家と化した。ヨーロッパにおける第二次世界大戦が終結する1945年5月に連合国軍によって敗北し、ナチス・ドイツは消滅した。

◎優生学思想に基づいて行われた「T4作戦」

ナチ党の権力掌握後、「民族の血を純粋に保つ」というナチズム思想に基づいて、遺伝病や精神病者などの「民族の血を劣化させる」「劣等分子」を排除するべきであるというプロパガンダが開始された。

イギリスの人類学者
1883年に優生学という言葉を初めて用いたことで知られている。1869年の著書『遺伝的天才』(Hereditary Genius)の中で、彼は人の才能がほぼ遺伝によって受け継がれるものであると主張した。そして家畜の品種改良と同じように、人間にも人為選択を適用すればより良い社会ができると論じた。

「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」(現在同地にはベルリン・フィルハーモニーがある)を短縮したもので、第二次世界大戦後に付けられた組織の名称である。

ティーアガルテン通り4番地に建つ、T4作戦の歴史案内板。ベルリン・フィルハーモニーの所在地でもある

◎水面下で進められた計画…

1939年の春と夏、ヒトラーの官邸長官であったフィリップ・ボウラーと、ヒトラーの主治医カール・ブラントが率いる多くの立案者が、障害を持つ子供を対象とする秘密の虐殺作戦の準備を開始しました。

1939年8月18日、第三帝国内務省は、すべての医師、看護婦、助産婦に対し、重度の精神的または身体的障害の兆候がある新生児および3歳未満の子供の報告を強制する布告を出しました。

◎「T4作戦」は1939年から始まった…

1939年9月1日、ヒトラーは日付のない秘密命令書を発令し、指定の医師が「不治の患者」に対して「慈悲死」を下す権限を委任する責任をもつ、「計画の全権委任者」としての地位をボウラーとブラントに与えた。

安楽死政策は立法化も正式な発表も行われないまま、病院や安楽死施設で実行され始めた。

処分されるべきと考えられた対象には、精神病者や遺伝病者のほか、労働能力の欠如、夜尿症、脱走や反抗、不潔、同性愛者なども含まれていた。

「処分者」は、郵政省から譲られた灰色に再塗装されたバスに乗せられ、「処分場」と呼ばれる施設に運搬された。

安楽死施設のあったハルトハイム城

移送された者はガス室に入れられて処分された。

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