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ミヒャエル・エンデ(Michael Ende, 1929年11月12日 - 1995年8月28日)は、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。

『モモ』『はてしない物語』などで知られるファンタジー作家ミヒャエル・エンデが日本人への遺言として残した一本のテープ。これをもとに制作されたドキュメンタリー番組(1999年放送/NHK)から生まれたベストセラー書籍がついに文庫化。忘れられた思想家シルビオ・ゲゼルによる「老化するお金」「時とともに減価するお金」など、現代のお金の常識を破る考え方や、欧米に広がる地域通貨の試みの数々をレポートする。

エンデの遺言 : 根源からお金を問うこと 動画

書評1

なるほど、「老いるお金か」。

老いるお金を主張したのは、シルビオ・ゲゼルという思想家である。

自然界では老いないものはないのだが、
お金だけは唯一、老化しない。

だから長期的に価値が維持されるお金が
神のごとく崇拝されることになる。

そればかりか、人に金を貸すと利子までつくのである。

お金とはほんらいモノや労働の交換のための道具である。
利子は交換を妨害する。

不況になりみんながお金を手元に
残しておこうとして交換が行われなくなると、
ますますモノや労働の交換がおこなわれなくなり
失業や貧困にあえぐことになる。

1930年代の大恐慌期にそういうことがおこり、
ドイツやオーストリアで「滅価するお金」を実践した町があった。
手元においておいたら、
価値がどんどん減るのだから
そのお金はどんどん使われてゆくことになる。

大恐慌ではだれもがお金を使おうとしないのだが、
そのさなかにオーストリアのヴェルグルという町では
大成功をおさめたのだが、中央銀行によって阻止される。

なぜお金だけが劣化しないのかと考えたらふしぎなことだ。

さらにはお金はお金を増やすことができるのだ。
ここに権力の差が生まれ、富者と貧者が別れ、
交換や経済は阻害され、いさかいや戦争の根源となる。

「老化するお金」はそのような弊害をおおく消滅させることだろう。

しかしまっ先に疑問に思ったのは、
貯蓄がおこなわれなくなると、
ケガや不作によりモノや労働が売れないときには
どう生計をたてたらいいのかということだ。

老化するお金は交換を促進するが、貯蔵の役目がなくなる。
また利子がないばかりか、老化するお金を導入しようとすると、
銀行やローン会社は大反対を巻き起こすだろう。

しかしこの老いるお金が提議するものは、
お金というものはいまのあり方が
絶対的なものではないということだ。

ひとつの約束や決め事、
あるいは観念の具現化にすぎないということだ。

お金は別のあり方や機能を持たせることもできるのだ。

永久に価値を減じないお金というものが
いかに不自然なものであり、
私たちから自由や幸福を奪いとっているか計り知れない。

かつて古代エジプトや西欧中世にも
減価するお金が使われていたことがあったそうだ。

古代エジプトでは劣化する穀物に対応するために
減価するお金がもちいられたのだが、
そのために長期的な利益をもたらすもの
――灌漑や土地の改良に投資された。

西欧ではカテドラルがおおく建てられた。

マイナス利子の場合には長期的に価値が維持されるものに投資され、
プラスの利子の場合には、
より短期の利益をあげるものに投資されるのである。

われわれの社会は利子や借金のために
働いているふうになっており、
十年や二十年でダメになる自動車や家は
その短期利益のためなのである。

利子は借りた者だけに関係があるものではない。

資金を借りるコストは商品の価格に上乗せられるし、
おまけに土地の賃料も覆いかぶさってくる。

お金がお金を生み出すような仕組みは
どうもわれわれの人生や社会の敵であるかもしれない。

もし減価するお金が導入されれば、
われわれの人生や社会はどのように変わるのだろうか。

すばらしい社会になるのだろうか。

書評2

■エンデの「遺言」-マネー本来の「交換機能」を取り戻せ!

今回読んでみようと思ったのは、先日のことだが、
たまたまリアル書店で
『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと-
時間・お金・ファンタジー-』
(池内 紀・子安美知子・小林エリカほか、新潮社、2013)
という本を見つけてさっそく購入し、
それ以来ついつい読みふけってしまったからだ。

エンデと「時間」の関係については、
「時間どろぼうと ぬすまれた時間を
人間にとりかえしてくれた不思議な女の子の物語」
という長い副題をもった『モモ』を読んで以来、
ミヒャエル・エンデと「時間」はわかちがたい連想として
アタマのなかにある。
いまからもう30年くらい前の話だ。

ドイツ以外ではエンデの作品が
もっとも読まれているのは日本だという。
夫人がエンデの日本語訳者であったこともあり、
エンデ自身も日本には特別の思い入れがあったらしい。

エンデは、
「個人の価値観から世界像まで、
経済活動と結びつかないものはない。
問題の根源はおカネにある」と言う。

こういうテーマ設定は文学者や哲学者ならではのものである。
エンデの場合は詩人としての直観というべきだろうか。

マネーの本質についての探求は、
経済学者やビジネス関係が考えるのを避けてきた

「禁断のテーマ」である。

マネーを所与の前提として、
それ以上突っ込んで深く考えない方が、
実務家としては精神衛生に良いとされているからだ。

ある種の技術主義であり操作主義という処世術である。

エンデの思考は一言で要約すれば
、貨幣のもつ「交換機能」を阻害しているのが、
貨幣を「商品化」するという発想である。
マネー支配からどうやって現代人を
解放すべきかという思索である。

「金本位制」のもとにおいては金(ゴールド)
という裏付けがあるので

無制限に貨幣を発行することはできなかったが、

1971年のニクソンショック以降、
紙幣としての貨幣は発行主体の信用のみを裏付けにするものとなり
商品化されたカネはマネーゲームとして、
それ自体が投機の対象となる。

その行き着くところは、
実体経済から完全に乖離(かいり)した
マネー経済の暴走とクラッシュの連続である。

マネーの無限増殖の根源に「利子」の存在があることは、
「複利計算」の意味を理解していればすぐにわかることだ。
「利子」が「複利」となることで利払いが
指数関数的に増大することは
電卓をたたいてみればすぐにわかるはずだ。

「利子」が「時間」と密接な関係にあることは、
わたし自身は大学学部の卒論で考察していたが、
本書で取り上げられている
「忘れられた経済思想家シルビオ・ゲゼル」の生涯と思想、
そしてゲゼルの経済思想を実践した
第一次大戦後のドイツ語圏欧州の事例を知り、
あらためて本質論を考察することの必要性をつよく感じている。

■エンデに大きな影響を与えた「忘れられた経済思想家ゲゼル」

シルビオ・ゲゼルは、ドイツ人実業家・経済学者。自由貨幣の概念を提唱した

本書によれば、エンデは

ドイツの経済学者シルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell)の
「自由貨幣の理論」

ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner)の
「老化するおカネ」

の2つの経済思想に大きな影響を受けているという。

エンデがシュタイナーの熱心な
読者であったことはよく知られていることだが、
ゲゼルという経済思想家については、
いまのいままでまったく知らなかった。

本書によれば、なんとケインズが『一般理論』のなかで、
「未来の人々はマルクスよりもゲゼルの精神から多くを学ぶだろう」
と評しているという(注)。

ゲゼルについて知ることができたのは、本書の最大の収穫である。

シルビオ・ゲゼル(1862~1930)と
ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)は
一歳違いの同時代人で、
両者のあいだには交流もあったらしいことが本書で指摘されている。

両者に共通するのは、
第一次大戦敗戦後のドイツ語圏において、
社会変革の担い手として実践活動に関与したことだが、
なによりも基本的な発想に共通性がある。

世の中に存在する物質は
すべて劣化する運命にあるということだろう。
食べ物はもちろん、それ以外のモノはすべて。
もちろんマネーも含めて!

モノが劣化するのにマネーが劣化しないわけないだろうという発想は、
まさに逆転の発想である。
言われなければなかなか気がつかない発想である。

時間の経過によって劣化しないから、
多くの人が金(ゴールド)にあこがれるわけだが、
マネーもまた劣化しないと思い込んでいるから
マネーに執着する気持ちが生まれる。

もしマネーが劣化し、価値が減少していくのであれば、
退蔵しておく意味はないということにある。
腐ってしまう前に使ってしまわなくてはならない
気持ちになるというわけだ。

(経済思想家ゲゼルと「スタンプ貨幣」 『エンデの遺言』第3章の扉)

ゲゼルの「自由貨幣の理論」から、
「時間の経過とともに価値を減少させていく貨幣」
というアイデアが生まれたらしい。

マネーは劣化するのだから、
人為的に減価させる仕組みを導入しなくては
ならないという発想である。

その具体的なアイデアの一つが
「スタンプ貨幣」であった(上掲の写真)。

1週間ごとに一定額のスタンプを貼らないと
紙幣が使用できないという条件を設定した紙幣(あるいは証書)のことだ。

「スタンプ貨幣」を入手した人は、
早く手放してしまわなければ
スタンプ代支払いの分だけ価値が減少してしまうから、
持っているだけで損してしまう。

そういう気持ちを抱くことになるから、マネーの退蔵が防止され、
マネーの流通が増えることになる。

全体でみればマネーの回転数が高まるので経済が活性化され、
失業者も減少することになるという発想だ。

これは「マイナス金利」という発想である。
「時間」という概念を前提にしている点は
「利子」の発想と同じであるが、
時間の経過ととにマイナスの利子が課せられるという発想は、
マネー退蔵に対する保有税という形の
ペナルティーと考えることもできる。
仕組みとしては非常に面白い。

実際に1929年の大恐慌直後のオーストリアのある町で導入され、
経済が活性化され失業者が劇的に減少したという。
「シュヴァーネンキルヘンの奇跡」である。

だが成功したがゆえに、
通貨発行権を究極の国家主権と考える国家からは危険視され、
最終的にはつぶされてしまう。

本書のなかでもある経済学者が述べているが、
もしこの成功した「実験」が欧州全体に拡大していれば、
失業者救済を旗印に勢力を急拡大した
ヒトラーのナチス党が政権掌握することは
できなかった可能性も否定できない。

もちろん後付けの「イフ」ではあるが、
アルゼンチンに渡って実業家として成功し、
景気変動の激しいなかで破産もせず生き残った
ゲゼルのアルゼンチンにおける実体験が
なかなか当時の欧州では共有されなかったのは、
実に残念なことである。

■「有限性」を織り込んだ「代替貨幣」

現代日本でもごくフツーに使用されている
クーポン券やバウチャーもまた、
囲い込みが目的であるとはいえ
一定の時間を経過すると価値を失う性格をもっている。

発行主体が一企業や一商店で使用目的が限定されており、
記名者が商品やサービスを購入する際にしか使用できず、
しかも譲渡可能ではないので狭義のマネーではないが
、実質的にはマネーのような働きをしている。

使用期限が限定されているマイレージポイントなども、
また同様と考えていいだろう。

これらは時間の経過とともに段階的に減価していく
という仕組みではないのでゲゼルの発想とは異なるが、
「有限性」を意識的にビルトインして設計されたものである。

マネーの「額面価値」そのものは時間が経過しても不変である。

実際はインフレによって目減り(=減価)することがあるので、
「額面価値」(=名目価値 ノミナル・バリュー)と
実質価値(リアル・バリュー)は必ず差異が生じるのが常識である。

だが、限りなくゼロ金利に近い低金利が定着し
デフレ状態が続いている先進国においては、
額面価値と実質価値にほとんど差異がない。

この状態においては、
カネをつかわずにキャッシュとして退蔵することに痛みが伴わない。
預金してもプラスの利子はつかないし、
タンス預金として退蔵し続けても
目減り(=減価)しないからだ。

だから消費税増税などよほどのことでもない限り、
誰も急いでカネを使おうとしないのだ。

日本を筆頭に、欧州でも米国でも、
人為的にインフレ状態を作り出すことを目的に
ジャブジャブになるまでに資金供給しているにもかかわらず、
いっこうに消費が喚起されないのはそのためだ。

先進国内部には
「資本主義にとってのフロンティア」が
もはや存在しないため、
投資も消費も喚起されることがないのである。

こういう状態で消費を喚起し、
経済を活性化する仕組みとして
「地域通貨」に着目することも必要だろう。
経済成長を志向しないでサステイナブルな経済を
回していく仕組みとしての「地域通貨」。
これもまたゲゼルの発想の延長線上にある。

■ドイツ発の経済思想が米国に移植され、1970年代以降に再びよみがえる

「地域通貨」(LETS : Local Exchange Trading System)
についてはアメリカの「イサカ・アワー」
(Ithaca Hour)という事例が面白い。
コーネル大学が立地する大学町、
ニューヨーク州イサカの事例である。

1960年代のヒッピー思想の延長線上に
オルタナティブな経済思想とその実践で
ライフスタイルと価値観の変化も背景にある。

本書が出版された2000年時点では成功事例として
完全に定着しているようだが、
導入が開始された1991年のニューヨーク州の
経済状況が惨憺たるものであったことは、
その当時おなじくニューヨーク州トロイに住んでいた
わたしには実感できることだ。
大恐慌ほどではないが、
経済不況はなにか新たな取り組みを開始するチャンスではある。

「イサカアワー」は、ゲゼルの「減価する貨幣」という発想を
「地域通貨」として実践している事例だが、
アメリカでは問題とはなっていないようだ。
グローバルマネーとしての米ドルに対して
補完通貨(complementary currency)としての位置づけが
当局からも認定されているからである

アーミッシュ 近代文明を捨て、アメリカで今も移民当時の生活様式を貫く人々

「地域通貨」が国家が発行する通貨にとってかわることはないが、小規模であれ、「補完通貨」として機能するのであれば、地域経済の活性化をつうじてコミュニティの健全でサステイナブルな発展を支えることができる。これはすばらしいことだ。

米国の通貨の歴史を振り返れば、むかしから地域自立型だったという本書の指摘は新鮮な印象を受けた。移民がつくった国である米国は、それぞれのバックグランドごとにコミュニティが形成され、独自の通貨が使用されていたらしい。現在でもかたくなに移民当時のライフスタイルを守り続けるアーミッシュなども存在するのが米国である。

大恐慌後の1930年代米国では「緊急通貨」も導入されている。ドイツで生まれ実験が行われた「減価する貨幣」というゲゼルの経済思想にもとづくものだ。ケインズもそうだが、大恐慌期アメリカを代表する経済学者アーヴィング・フィッシャーの名前がゲゼルがらみで本書に登場するのも興味深い。

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