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ソ連のアフガニスタン侵攻の歴史(1978年-1989年)

ソ連アフガニスタン侵攻の歴史(1978年-1989年)についてまとめました。

更新日: 2019年06月13日

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misukiruさん

◆アフガンから撤退するソ連(1989年)

出典bund.jp

ソ連は、1979年から1989年までアフガニスタンに侵攻していきました。これにお金を使った事で、実体経済は悪化したとされています。

1979年にソビエト連邦が軍事介入を行い、1989年に撤退するまでの期間を扱う。

1979年、ソ連のブレジネフ政権が社会主義を掲げる親ソ派政権を支援するためにアフガニスタンにソ連軍を侵攻

アミンが住んでいたので、アミン邸などと呼ばれています。

◆泥沼化して10年継続された戦争

反政府勢力の台頭や活動の活発化などによって治安が急速に悪化し、新政権の強い要望によってソ連軍はアフガニスタンに足止めされることとなってしまった。

計画は、外れていた。モスクワのリスキーな行動は西側に利用され、戦争は深刻化していった。

9年間に渡る戦争において平均してアフガニスタンに駐留したソ連軍の兵力は10万人強である。1984年頃、ソ連陸軍首脳は政府に対し地上兵力増強を要求した。軍の要求した兵員数は30.5万人で駐留軍を3倍に増やすというものであった。

最終的にソ連軍は1988年5月15日から1989年2月2日の間にアフガニスタンから撤退した。

◆チェルノブイリ原発事故が起こる

チェルノブイリ原発事故が起こったのも、ソ連の技術力が落ちた事の象徴でした。

1986年4月26日に起きた原発事故は、ソ連国内だけでなく、周辺のヨーロッパ諸国にも、農産物を中心に大きな被害を及ぼし、その対応の拙さから、ソ連の威信は大きく低下するのです。

◆イスラム原理主義系の抵抗

ソ連軍に対しイスラーム原理主義系のゲリラ組織は激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化し、失敗した。

ソ連側は1万4000人を超える兵士が戦死し、アフガン側はその数倍の戦死者を出す結果となった。

◆ソ連の輸送力の不足

その世界最大の陸上兵力を持つソ連軍が、より多くの兵員をアフガニスタンに投入出来なかったのは経済面を含んだ輸送力の不足のためであった。

◆米国によるイスラム勢力の支援

米国中央情報局(CIA)やチャールズ・ウィルソンらによる極秘の武器供給など、ムジャーヒディーンの支援に数十億ドルを費やした。

アメリカ(カーター大統領)は、ソ連の武力侵攻を批判し、経済制裁を発動するとともにアフガニスタンの反政府勢力に武器を提供した。

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