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杉原千畝以外にも!2万人のユダヤ人を救った世界に誇れる日本人!

ビザによって6千人のユダヤ人を救ったと言われる「杉原千畝」の話は有名ですが、それより前に2万人のユダヤ人を救ったと言われる「樋口季一郎」をあなたは知っているでしょうか?

更新日: 2016年08月07日

kumada90さん

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ナチスに迫害されたユダヤ人

ナチスによるユダヤ人迫害。歴史上最も有名なユダヤ人迫害である。この時、ユダヤ人の迫害は1933年頃からはじまったが、初めは宗教というよりは人種的理由によっていた。

1850年代、フランスの外交官ゴビノーは、人種的な優劣を論じた「人種不平等論」を発表し、その中で、アーリヤ人種の優越性を唱えた。

ナチス政権はこの書をユダヤ人の差別と迫害を正統化するバイブルとして利用した。これに、先の宗教的な憎しみも加わり、単なる差別から、迫害、虐殺へとエスカレートしたのである。

戦争が終わるまでに、ゲットーや各地の強制収容所で餓死、射殺、ガス殺その他の手段で殺されたユダヤ人の数は、560万から590万に上る。

この死者数に関しては正確な数字が分からず、専門家の間でも意見が分かれています

命のビザで有名な「杉原千畝」

杉原千畝(すぎはらちうね)、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる外交官です

たびたび映画化やドラマ化されています。世界に誇れる素晴らしい日本人です!

彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスという都市で、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られています。

「発給要件を満たさぬ者へのビザ発給はならぬ」という本省の命令に背き、命の危機が迫るユダヤ人に対し、「首になっても構わない、人道上拒否できない」と、条件をつけずにすべてのユダヤ人に対し、ビザを発給する決心をしました

杉原さんが発給したビザは、いつしか“Visas for life”=「命のビザ」と呼ばれるようになりました。その数、約1500枚。1家族に1枚のビザで、杉原さんは約6000人ものユダヤ人の命を救ったと言われています。

杉原千畝だけじゃない!多くのユダヤ人を救った「樋口季一郎」

大日本帝国陸軍の軍人でありながら、同じく多くのユダヤ人の命を救い、イスラエルの黄金の碑に「偉大なる人道主義者」としてその名を刻まれ、イスラエル建国の功労者として永遠に顕彰されている日本人がいたことをご存知だろうか?

功績が日本で広く知られている杉原千畝と異なり、樋口季一郎の功績はあまり知られていません

樋口季一郎さんは1918年、陸軍大学校を卒業。当時のエリートでした。各国の情報収集にあたる情報武官としてヨーロッパやロシアに赴任し、順調に出世街道を歩んでいました。

日中戦争が勃発した1937年、満州の関東軍で諜報活動のトップ特務機関長に就任。

オトポール事件

1938年ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人が満州国と接するソ連領オトポールに押し寄せてきました。ソ連が入国を拒否したので、満州国に受け入れを求めてきましたが、満州国は、日本とドイツとの関係を考慮して、入国を拒否しました。

関東軍ハルビン特務機関長である樋口季一郎のもとに事件の第一報が入った時にはすでに食料も底を尽き、多くのユダヤ人たちが飢餓と凍死の危機に瀕しているという、まさに一刻の猶予もない状況であった。

自らの失脚の可能性も十分に覚悟し、「人道上の問題」として熟慮を重ねた上で、ついにユダヤ人救出を決定。

難民が列車で到着し、地元の商工会や学校で炊き出しを受けました。凍死者は十数名あったそうですが、もし救援列車が遅れていたら、この程度ではすまない数の大量の凍死者が出ていたはずでした。

この事件は杉原千畝が命のビザを発給する2か月以上も前でした!樋口が救った命は2万と言われていますが、正確な数は分かっていません!ただかなり多くのユダヤ人を救ったことは間違いないようです

独断で方針に逆らったものの処分は不問に!

樋口季一郎さんのユダヤ難民救済行為を知ったナチスドイツは激怒し、日本政府に猛抗議。樋口季一郎さんに対する処分を求めました。

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kumada90さん

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