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謎多き無敵の剣 斎藤一の生涯(新撰組 三番組組長)

今さら聞けない、ザッとは知っておきたい、そんな方向けに新撰組 三番組組長 斎藤一の生涯をスーパー・ダイジェストでまとめました。

更新日: 2018年01月16日

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この記事は私がまとめました

来栖崇良さん

諸説ある背景

斎藤は、山口祐助とますの子として生まれ、父の山口祐助は播磨国明石藩の足軽であったとされているが、戊辰戦争後の斎藤の会津藩との関わりの深さから疑問視もされている。

斎藤は19歳の時に、江戸小石川関口で旗本と口論になり、相手を斬ってしまうと、父と兄に旅支度をさせられ、すぐに京都へと旅立った。



京都に着くと、父の友人が開いていた聖徳太子流剣術道場主に身をかくす。

将軍・徳川家茂が京都に行った際の警護役として募集され浪士隊が江戸から京都にやって来ると、浪士隊は壬生浪士組に名を変え、京都で新たに隊士を募集する。


斎藤を含めた11人が入隊し、京都守護職である会津藩(伝統的に幕府と縁が深い)の藩主である松平容保の預かりとなった。

永倉新八の「新選組顛末記」によると

永倉新八の「新選組顛末記」によると、江戸にいた頃に斎藤と近藤らはすでに面識があったとされているが、壬生浪士組への入隊時が出会いとする説も根強い。

新選組幹部の選出にあたり、斎藤は20歳にして副長助勤に抜擢された。


永倉は弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語ったといわれ、剣の腕はあの沖田に匹敵する強さであった。

謎の多い理由

斎藤は、土方からの信頼が特に厚く、新撰組内部での粛清役や暗殺役といったダークな仕事を数多く務める。また、その土方からの信頼の厚さゆえに、スパイとして組織外に派遣されることもあった。
記録に残り難い影の仕事に関わる機会が多かった。

新撰組の名を天下に轟かせた池田屋事件の後、藤堂平助の仲介で才能豊かな伊東甲子太郎が新撰組に加わるが、近藤と伊東が時局を論じ合った際に、徳川幕府あっての尊王攘夷という考えを持つ近藤に対して、伊東は孝明天皇の衛士になることを主張したため、近藤は伊東らの分離を警戒した。


近藤の予想通り、伊東は新撰組から分離した御陵衛士を結成すると、斎藤は、土方の指示で、この伊東の御陵衛士に潜入スパイとして参加し、伊東暗殺につながる情報を提供する。


※画像は伊東甲子太郎

1867年11月9日、大政奉還。1868年1月3日、王政復古の号令。

将軍・徳川慶喜が朝廷から徳川幕府に貸し出されていた政治権力を明治天皇に返上(大政奉還)し、薩長による倒幕の口実をなくすと、岩倉具視らは徳川慶喜の身分の剥奪と徳川家の領地全ての没収を決定して明治新政府が樹立(王政復古の号令)し、旧幕府勢力に追い込みをかけた。

斎藤は、旧幕府軍と新政府軍における「鳥羽・伏見の戦い」や甲府での守備を目指した「甲州勝沼の戦い」、いずれの戦いでも最前線で戦うが、銃撃戦がメインの戦闘では大きな活躍を見せることが出来ずに終わった。

近藤が流山で新政府軍に投降して板橋刑場で斬首されたあと、斎藤は、土方らと一旦別れ、隊士の一部を率いて会津へ向う。


斎藤ら新選組は、会津藩の指揮下に入り、白河口の戦いや母成峠の戦いにも参加するが、劣勢に次ぐ劣勢により若松城下に退却する。

会津藩が新政府軍に降伏したあとも、斎藤は頑なに戦い続けるが、新撰組の雇い主であった松平容保の説得に応じて投降した。


新撰組時代の斎藤が、土方から厚い信頼をおかれていたのは、こうした強情で信念が固いながらもリーダーには従順な一面があったことによると推測が出来る。

捕虜としての謹慎生活を終えた斎藤は、元会津藩の名家の娘と2度の結婚をする。


一度目の結婚の結果が、死別なのか離縁なのかは分かっていない。


二度目の結婚時では、元会津藩主・松平容保が上仲人、元会津藩家老の佐川官兵衛と山川浩、倉沢平治右衛門が下仲人を務める。



2度目の妻・時尾との間には、三人の男の子に恵まれている。




※画像は松平容保

明治7年(1874年)7月、東京に移住し、警視庁に採用され、内務省警視局で警部補に昇任し、西南戦争に参加した。

大砲2門を奪取するなどの大活躍をし、その様子は東京日日新聞に報道され、斎藤は政府から勲七等青色桐葉章と賞金100円を授与される。

その後、麻布警察署詰外勤警部として勤務し、退職後は東京高等師範学校附属東京教育博物館(現在の国立科学博物館)の守衛長を経て、東京女子高等師範学校に庶務掛兼会計掛として1909年まで勤務する。

71歳で胃潰瘍のため東京府東京市本郷区真砂町で死去。


永倉新八とほぼ同時期に死去したことになる。

子ども達には「武士たる者は、玄関を出るときは頭から先に出るな、足から出よ、不意に斬りつけられた場合、頭をやられれば致命傷だが、足ならば倒れながらも相手を下から突き上げて殺すことができる。」と説教するのを常としていた。




まるで、老いてなお、時代が変わってなお、ただ一人新撰組であり続けたようである。

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