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プロ野球の歴史 ~偉人の紹介~

1936年に開始した日本プロ野球。2016年に80周年を迎え、今もなお国民的人気を誇るスポーツとしての地位を確立しているプロ野球の創設期を支えたスターを紹介する。

更新日: 2017年05月18日

hgpwingさん

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偉人の紹介

1920年代以前生まれの選手を紹介します。

黒沢俊夫 (名古屋金鯱軍 ー 大洋軍 ー 東京巨人軍)

・巨人の永久欠番「4」
・巨人初のトレード獲得選手。
・1944年5月に近畿日本(南海ホークス)戦で史上初の1試合2本盗を記録(日本タイ記録)。
・1946年、巨人軍第14代4番打者。
・ロイドメガネを中指で上げながら打席へ。
・腸チフスによって現役選手のまま永眠(球団葬を実施)。
・「私が死んだら、巨人軍のユニホームのまま葬ってほしい」と遺言を残す。
・ホームスチール10盗塁はプロ野球歴代2位の「ホームスチールの神様」。

景浦将 (大阪タイガース)

・元祖「二刀流」(三塁兼外野兼投手)。
・沢村栄治のライバル。
・1936年発足したばかりの大阪タイガースに入団。
・1936年秋季、6勝0敗 防御率0.79 勝率1.000 を記録。
・1937年春季、打点王 11勝 防御率0.93 を記録。
・1937年秋季に首位打者、1938年春季に打点王に輝く。
・手榴弾の投げ過ぎによって肩を痛め、一塁に転向。

藤村富美男 (大阪タイガース)

・初代ミスタータイガース
・阪神の永久欠番「10」。
・「物干し竿」と呼ばれた通常のバットよりも長いもの(約94cm)を使用。
・長嶋茂雄が憧れた選手であり、長嶋は藤村の影響で三塁手になったと言われている。
・初代本塁打王。
・1944、47~49、53年に打点王に輝く。
・「ダイナマイト打線」の四番。
・56年に兼任監督に就任。
・「代打ワシ」で代打逆転サヨナラ満塁本塁打。
・1948年10月2日の金星戦でプロ野球初のサイクルヒットを達成。
・三塁手としてシーズン刺殺209(日本記録)、捕殺484(セ記録)、併殺60(セ記録)、守備機会728(日本記録)と数々の記録を持っている。
・シーズン本塁打の日本記録を二度記録。
 2本(1936年秋季)、46本(1949年) ※本塁打王創設後初

鶴岡一人 (南海軍)

・選手としては一年目に本塁打王を獲得。
・29歳で選手兼任監督に就任。
・監督して23年ものあいだ南海ホークスを率いて、優勝11回、日本一2回、通算勝利数1773勝(歴代1位)、Aクラス22回を記録。
・元祖「親分」の愛称で親しまれる。
・「グラウンドにはゼニが落ちている」や「指揮官が悪ければ部隊は全滅する」といった数々の名言を残す。
・監督20年で一旦退任するが、後任監督が就任直後に亡くなったため、続けて3年契約を結ぶ。

ヴィクトル・スタルヒン (東京巨人軍 ー パシフィック ー 金星スターズ ー 高橋ユニオンズ)

・日本プロ野球初の外国生まれ選手
・1939年にプロ野球記録タイのシーズン42勝。
・1955年にプロ野球史上初の300勝を達成。
・プロ野球記録の83完封。
・当時の日本記録シーズン4サヨナラ打を記録。
・通算打率.237。
・野球殿堂競技者表彰初の選出者。

服部受弘 (中日ドラゴンズ)

・中日ドラゴンズの永久欠番「10」。
・黎明期のプロ野球において、主に捕手・投手・三塁手といったポジションで活躍した。
・1941年に8本塁打で本塁打王に輝く。
・1949、1950年は24勝、21勝で2年連続20勝を達成。
・1952年8月2日の巨人戦では、2-5の3点ビハインドの6回表満塁の場面で代打に起用され、別所毅彦から逆転満塁本塁打を放ち、そのままマウンドに上がって勝ち投手になるという偉業を達成。
・守備位置別出場は、投手259、捕手173、三塁手73、一塁手27、外野手22、二塁手1、ほかに代打などで300試合に出場している。

川上哲治 (東京巨人軍)

・打撃の神様、球界のドン
・「甲子園の土を持ち帰る」のを最初に行った人物とされている。
・低い弾道で弾丸のように鋭く飛んでいく打球は「弾丸ライナー」と命名された。
・1956年にプロ野球史上初の2000本安打を達成。(1646試合での到達はNPB最速記録。)
・背番号「16」は巨人の永久欠番。
・「ボールが止まって見えた」という名言は、実際は小鶴誠の発言であった。
・監督を務めた14年間でリーグ優勝11度、その全てで日本一になっている。

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