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なんで「梅田」って言うの?意外と知らない地名の由来【主要都市編】

普段何気に使っている地名ですが、なぜそんな地名になったのか由来を知っている人は少ないのではないでしょうか。調べてみると結構おもしろいものです。

更新日: 2016年08月10日

MameNozomiさん

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普段何気に使っている地名ですが、なぜそんな地名になったのか由来を知っている人は少ないのではないでしょうか。今回はよく耳にする主要都市の由来を簡単に紹介していきます。

北日本

もともと「サッポロ」は豊平川にアイヌの人々がつけた名称で、その流路一帯の地名に転用されたものであるとされる。

札幌の名の語源については、アイヌ語の「サリ・ポロ・ペッ」(その葦原が・広大な・川)とする説と「サッ・ポロ・ペッ」(乾いた・大きな・川)とする説などがあります。

盛岡城はかつては、不来方城(こずかたじょう)と言われた。このあたりは、平安時代には朝廷の勢力の北限だった。

そのため、陸奥国府の人達が、このあたりを「誰も来ないような僻地」と言う意味で「不来方」と呼んだ。

『人が来なくなる土地』というのは縁起が悪いということで、南部利直(なんぶとしなお)が慶長年間(17世紀初頭)に『盛岡城・盛岡』へ改名したのが始まりとされます。

地名に関する由来は諸説ありますが、中国唐代の漢詩にちなんだ説が有力です。その冒頭の句「仙臺初見五城楼」の「仙臺」は「仙人の住む臺=理想の場」の意。

伊達政宗が岩出山からこの地に本拠を移した際に、中国・唐の時代の詩人韓コウ(広羽)の漢詩「同題仙遊観」の中の「仙臺初見五城楼」から採ったとされている。

千代が「仙人の住むような理想の国になるように」との熱い思いを託したと言われています。

関東

甲州街道は日本橋から甲府に至る幹線で、甲府から中山道の下諏訪まで連絡していました。甲州街道は、日本橋から最初の宿場高井戸までの距離が長く、旅人が難儀していました。そこで、名主・高松喜六らの願いにより、その中間にあたる地に宿場の設置が認められました。

その宿場のできた敷地が、内藤氏が幕府に返上した屋敷地であったことと新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の起こりとなりました。

新宿区は1947年に四谷区や牛込区などを前進として発足されたが、新区名として「新宿」が採用されたのはこの「内藤新宿」が歴史ある名前であることや他の地名より普遍的な名前であるという理由からであった

横浜の歴史は室町時代の1442年(嘉吉2年)の文献に『横浜村』として描かれていたのが初出といわれ諸説色々あるが、「横」に長くのびた砂州から「浜」で『横浜』になったと説がもっとも有力と思われる。

もし、宗閑嶋が山がちだったら「横山」だっただろうし、クネクネしていたら「曲浜」だったのかもしれない。

関西

西に流れる淀川の湿地帯であった土地を埋めて開拓したことから、「埋田=梅田」という説。

この埋田の地名が梅田へと変わるのは江戸時代。「埋」が「梅」に美称されて「梅田」になったというのが定説である。

近松門左衛門の『心中天網島』には梅田橋の名が登場するので、17世紀の後半には梅田になっていたと推測されるが、この地域は明治になって大阪駅が作られた時にも、見渡す限り田んぼが広がっていたという。

もうひとつは地主の名前「梅田宗庵」であったという説。どちらの説をとっても現在の梅田周辺は荒れた田畑だったということになります。

「神戸」という言葉は実は古代から存在していて、「かんべ・じんこ」と読む。

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MameNozomiさん

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