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【戦前復帰の兆候か?】 日米安保体制に関する動きまとめ

日米安保体制に関する戦後から現在までの流れを簡単にまとめてみました。

更新日: 2016年08月10日

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安倍政権の下で日本はとうとう、日本国憲法9条も日米安保条約も変えず、安保関連法を強行採決で成立させただけで、二度と繰り返さないはずであった戦争に突入しそうな勢いである。

安保体制は、そもそもは冷戦の落とし子だった。

枢軸側の敗北が決定的となった第2次世界大戦末期から、アメリカは最終決戦としての第3次大戦を視野に入れた戦略に転換していた。

その表れが、3カ所に生まれた分断国家で、そのうち二つで発生した戦争、すなわち朝鮮、ベトナム戦争だった。

実際、ソ連が東欧圏を勢力範囲に抱え込み、アメリカから流出した核技術に、開発で先行していた宇宙技術を組み合わせ、アメリカに対抗し得る核攻撃力を手に入れたことで、アメリカは直接対決を避ける方向に傾いていった。

そして、第3次世界大戦の偶発を直前で回避したキューバ危機の経験から、冷戦構造は米ソ共存の構造に転化した。

アメリカは、対ソ政策の変化に合わせ、日本の占領・管理政策も変化させた。

ひと言で言えば、反共政策の優先化であり、憲法9条に象徴される占領当初の非軍事化政策を転換し、中ソという2大共産国の軍事的封じ込めに日本を再利用しようというものだった。

当初アメリカは唯一の核保有国で、また爆撃機による爆撃が必要だったため、日本には太平洋の左端の使い捨ての出撃基地としての役割が求められた。

そのため、米軍基地をおく大義名分さえ立てばいいということで、サンフランシスコ講和条約は一部講和となり、日米安保条約はアメリカが日本に対し片面的に防衛義務を負うという変則的なものとなった。

これを双務化する方向で改定した「60年安保」の時代には、すでに朝鮮・ベトナム戦争が始まっており、それを主導した日米いずれの勢力にとっても、日米安保条約は一里塚的な位置づけであった。

当時の岸信介首相率いる日本の保守反動勢力にとっては、憲法破棄と完全再武装、アメリカにとってはベトナム戦争などの代理戦争への動員をその先に見ていたのだ。しかし、穏健保守(いわゆる保守本流)が、表層では反動勢力(保守傍流)と、底層では社会党右派と手を組むという、二重の連立構造を特徴とする55年体制の下、憲法9条を盾にのらりくらりとアメリカの軍事要求をかわし続けた結果、当初の想定をはるかに超え、9条と安保の同時存在という暫定的な現状が延々と維持され、その先に進むことはなかった。

この構造を変えたのはアメリカである。

アメリカは、日本の中選挙区制こそが55年体制を支えていたことを見抜き、小選挙区制の導入により底層の連立政権を弱体化させ、再び、反動勢力に主導権を握らせた。

こうしてようやく、アメリカは所期の目的を果たすことになろう。その一つは、もちろんアメリカの代役としての兵員の動員であり、もう一つは、現代の核兵器の主流である原潜発射型弾道弾(SLBM)に対するイージス防衛網の肩代わりである。

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