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清原・桑田 1985年KKドラフトの真実 まとめ

名門PL学園高野球部が休部となったが、その歴史の中で最強の時代は1983~85の3年間、清原と桑田を擁し全国優勝2回・準優勝2回・ベスト4が1回の戦績を残した時ではないでしょうか。そんな最強コンビを引き裂いた85年秋のプロ野球ドラフト会議。巨人と桑田の密約説も流れたあの事件の真実をまとめてみました。

更新日: 2016年08月12日

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tanakanoさん

1967年8月18日生まれ
PL学園1年から4番に座り、甲子園には5度の出場機会すべてに出場。甲子園通算本塁打13本は歴代一位。

1968年4月1日生まれ
清原とともに1年から5度甲子園に出場。甲子園通算20勝は戦後1位(歴代2位)

KK最後の夏は、決勝戦サヨナラ勝利で全国制覇!有終の美

宇部商・古谷友宏の投じた高めのストレートを振り抜くと、打球はセンターを守る藤井を越え、左中間スタンドへ。再び同点となるこの一発は、大会記録となる5本塁打、そして甲子園通算13本目の本塁打(歴代1位)となった。この一発に、実況をしていた朝日放送・植草貞夫アナウンサーは「甲子園は清原のためにあるのか!」という名文句を残す。

試合はその後、互いに譲らぬ展開となり、同点のまま9回裏に入った。2死二塁とPL学園がサヨナラのチャンスを迎えると、主将・松山秀明が右中間を抜ける、2年ぶりの全国制覇をもたらすサヨナラ打を放った。この試合の勝利で桑田は甲子園通算20勝という戦後1位となる大記録を打ち立てた。

そして世間の注目は、2人の高校生の進路へ。。。

高校卒業後の進路はプロ野球ファンのみならず、世間の注目を大いに集めた。

プロ入り志望の清原は読売ジャイアンツへ入団し、尊敬する王貞治監督の下でのプレーを熱望する。桑田は大学への進学を表明し、ドラフト会議4日後の11月24日に早稲田大学の入学試験を控えていた(ドラフト会議当日までに早稲田大学への進学が決まっていたわけではない)。

プロ志望の清原はドラフト指名が競合する可能性がある一方、進学志望の桑田へはドラフト指名が回避されると思われた。

巨人と清原は相思相愛と思われていた

清原は、早くから巨人入りを熱望。少年時代から憧れ、目標にしていた世界の本塁打王・王貞治監督(当時)のもとでプレーすることを夢見ていた。また、巨人サイドもそれとなく清原を指名するような雰囲気だったことで、その空気は助長されていった。

巨人・王貞治監督(当時)は清原氏に対し、「キミは野手ではNO1の評価だ」と言って1位指名をほのめかし、本人もすっかりその気で待っていた。だがそれはあくまで「野手では」であり、「投手も含めた全体の」NO1評価だとは言っていない。そこにもトリックがあったのだ。

そして、ドラフト当日。巨人に1位指名は。。。

その時、目と目が合った。一方は驚き、もう一方はニヤリと笑った。

 驚いた男、“パンチョ”こと伊東一雄パ・リーグ広報部長は、巨人が提出した用紙にもう一度を目をやった。「本当に?」自問しつつも、自分の職務を全うすべくマイクのスイッチを入れた。伊東の職務は、ドラフト会議で各球団の指名選手を会場内にアナウンスすることだった。

  「第1回選択希望選手、ヨミウリ…」独特の声色で巨人の指名選手を発表しようとして、ひと呼吸置いた。もう1度「本当に?」という思いが頭をよぎったからだ。意を決して、パンチョはこの会議でコールされることはないとされていた選手の名前を一気に読み上げた。

  「クワタ マスミ 17歳、投手、PL学園高校」。

 パンチョに向かって、ニヤリと笑った男、巨人・王貞治監督は何事もなかったように手元の資料を読んでは、次のページに忙しく視線を移した。

巨人は王監督(当時)がドラフト前日に「1位は清原でいく」と報道陣に話していた。それがいざフタを開けると、巨人は桑田を単独1位指名した。マスコミと世間は「巨人と桑田は密約を結んでいた」「またドラフト破り」と大騒ぎとなった。

巨人は実は、KK両取りを狙っていた?

巨人は王監督が清原にサイン入り色紙を贈るなど高く評価。清原も自ら巨人ファンと認めていた。相思相愛、蜜月であることを知らせ、重複指名する球団をできるだけ少なくする。一方で、桑田には「早大進学」と言わせて他球団から手を引かせる。1位清原、2位桑田指名で目玉の2人を獲得する作戦だった。

しかしドラフト前夜に方向転換。その裏には西武・根本管理部長が?

ところが、ドラフト前夜の会議で競合覚悟でかなりの球団が清原を1位指名することがわかってきた(6球団が指名)。指名重複の末、抽選で清原を逃した上に、ダメもとで桑田を外れ1位で指名を強行する球団が出てくる可能性もある。そうなると、「二頭取り」どころか、ひとりも取れないケースもある。そこで急きょ、清原は諦め桑田1位に方向転換したという。

「西武は清原と桑田のダブル獲りを画策しているのではないか」。その読みは当たらずとも遠からずだった。「清原1位は決まっていたが、1位で桑田をどこも指名しなかったら、行こうと考えていた」と根本は後に明かしている。その上で、こう付け加えた。「さすがは巨人。早大進学の意思の硬い桑田を敢然と指名した。あれがプロの仕事だ」。

この根本の意向を察知して、巨人は桑田1位に方針転換したとも言われている。

結果、巨人は桑田の単独1位指名。清原は6球団競合の結果。。。

6枚の茶封筒に入ったクジ。封を最後に開けた男が表情を崩さず、鋭い視線で二つ折りの紙を左手で高く掲げた。「球界の寝業師」の異名をとった、西武・根本陸夫管理部長だった。

あっけにとられる清原。巨人が指名をしてくれなかったこと、そして、プロ入りせずに早稲田大学への進学を明言していた同級生が、巨人から1位指名を受けるなど、思いもよらなかっただろう。甲子園では怖いものがないかのように活躍していた、あの「怪物」が、ドラフト会議後の記者会見では涙を見せたことは、清原にとって、どれだけ重い事態だったのか、容易に察することができた。

桑田、そして巨人に裏切られた!!

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