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【あれから31年】生かされる日本航空123便事故の教訓

日本航空123便墜落事故から31年。悲しい事故を教訓に、多くの命が救われた事故もありました。

更新日: 2016年08月13日

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novjaxさん

・1985年8月12日18時56分

東京・羽田発大阪・伊丹行の日本航空123便は、520名の乗員乗客とともに、いわゆる「御巣鷹の尾根」に散りました。

生存者は4名。単独機の航空事故としては、世界的に見ても史上最悪の事故となりました。

・多くの著名人も搭乗していた

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。

「上を向いて歩こう」など、現在でも歌い継がれる数々のヒット曲を出した坂本九さん。

大阪府羽曳野市議会議員選挙に立候補した、元マネージャーの香川弘之さんの応援に向かうため、123便に搭乗していた。

普段は全日空を利用していたという坂本九さん。お盆の混雑で全日空のチケットが取れず、たまたま日本航空を利用していた。

43歳没。

元宝塚歌劇団・雪組娘役の女優。
宝塚の同期は、黒木瞳さんや真矢みきさんなど。

横浜市の実家に帰省したのち、大阪の友人に会いにいくために搭乗していた。

24歳没。

(参考、引用:wikipedia)

ハウス食品社長。

前年に発生した「グリコ・森永事件」でハウス食品も犯人から脅迫を受けていたが、事故当日の夕刊に犯行終結宣言が掲載されたことを前社長の墓前に報告するために事故機に搭乗していた。

47歳没。

(参考、引用:wikipedia)

・油圧全喪失で操縦不能に陥った

突然の衝撃音と共にJA8119型機の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、補助動力装置も喪失、その際に操縦システムに必要なハイドロ液が全て流れ出して、ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不可能になってしまう。

・操縦不能に陥りながらも、30分以上飛行を続けた

日本航空123便では、18:24の異状発生から、操縦不能になりながらも30分以上も飛行をつづけ、これは航空事故としては特異的なものであった。

最後の最後まで諦めず、なんとか乗客の命を救おうと闘った乗員のみなさんに、心より敬意を表します。

・この事故の教訓から、多くの命が救われた事故も

1989年7月19日にユナイテッド航空の定期232便が油圧操縦不能のままアイオワ州のスーシティに設置されているスーゲートウェイ空港に緊急着陸し、大破した事故である。乗員乗客296人中111人が死亡した。

123便事故と同じく、油圧による操縦が不能になった事故。

・事故機に乗り合わせていた非番のパイロットが多くの命を救った

フィッチ(引用者注:非番で乗り合わせていたパイロットであり、事故機のDC-10の教官でもあった)が日本航空123便墜落事故を教訓に、JAL123便で運航乗務員たちが行っていた油圧系統が全滅した場合の操縦方法を研究しシミュレータにより訓練していたことと、ヘインズ達232便運航乗務員は極めて豊富な経験を有していたことが幸いした。

123便事故の教訓が生かされた事故でした。

JAL123便の垂直尾翼脱落のような、機体形状へのダメージが無かったことも幸いであった(JAL123便は、油圧喪失による操縦不能に加え、尾翼喪失によって航空機として安定した飛行をする為の機体形状も失われていた)。

123便ほどのダメージはなかったものの、やはり極めて深刻な状況だったようです。

232便は接地寸前までかなり良い精度で滑走路に正対することができたが、地上30m付近から機体のバランスが崩れ機首が下がり、また舵面が効かないため通常の着陸時より120km/h以上も速い速度で滑走路に進入し、右主翼翼端から滑走路に接触して発火。機体は文字通り火の車のように回転しながら分解しつつ大破炎上した。しかし、地上の消防救急隊 (CFR) の懸命な救出活動により、乗員乗客296名中185名が生還した。

111名の尊い命が失われてしまったことは残念ですが、185名の方々が生還したことは、まさに奇跡と言えるでしょう。

・他にも類似の事故が

写真は事故機のもの。

2003年11月22日に起きたテロリストによる民間貨物機の撃墜事件である。(wikipediaより)

油圧系統は全損したものの、バグダード国際空港(イラク)への緊急着陸に成功、乗っていた乗員3名全員が生還した。

※写真は事故とは無関係のもの

1994年(平成6年)に発生した運航中の旅客機を利用した航空テロ。このテロは国際的テロリスト集団「アルカーイダ」が1995年1月21日に決行を予定していた、ボジンカ計画と呼ばれる航空機爆破計画の予行演習として行われた。日本の領空附近で発生し、日本人の乗客1名が死亡した。(wikipediaより)

マニラからセブ経由で成田に向かっていたフィリピン航空434便に爆弾が設置され、飛行中に爆発。
日本人1名が亡くなりましたが、操縦困難な状況の中、那覇空港への緊急着陸に成功。292人の乗員乗客は生還しました。

・123便事故に関連して、先日悲しい事故も起きたばかり

(2016年7月)23日午前9時40分ごろ、日航ジャンボ機墜落事故の現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)で、遺族らの慰霊登山に向け登山道を整備していた日航社員の相馬裕さん(59)=横浜市=が滑落し、頭などを強く打って死亡した。

 県警藤岡署によると、相馬さんは墜落事故の遺族の対応に当たる「ご被災者相談室長」。8月12日に行われる遺族らの慰霊登山に向け、他の社員7人や尾根の管理人の男性と山に入った。登山道脇に丸太のくいを打っていたところ、約50メートル滑落したという。

事故の遺族でつくる「8.12連絡会」の美谷島邦子事務局長によると、相馬さんとはほぼ毎月連絡を取り、開山後の今年5月にも一緒に登ったという。「遺族を第一に考えてくれる人。他の遺族からも残念という連絡が来ている」と語った。

今年もやってきた8月12日。空の安全を願ってやみません。

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