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実は戦後もあった!日本でのクーデター事件

終戦前夜に起こったクーデター「宮城事件」。映画『日本のいちばん長い日』にも描かれた事件が最後のクーデターではない。終戦直後には「松江騒擾事件」、破防法初適用の「三無事件」、三島由紀夫が決起を呼びかけた「三島事件」があり、柳内伸作は自衛官時代にクーデターの必要性を述べ、公安警察は今も自衛隊をマーク。

更新日: 2020年05月10日

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aku1215さん

■終戦前夜に起こったクーデター「宮城事件」

昭和20年8月14日。御前会議でポツダム宣言の受諾が決まると、一部の陸軍省将校と近衛師団参謀が、終戦に反対し、徹底抗戦を叫びクーデターを起こそうとした。

畑中少佐を中心とした数名が一時、宮内省を占拠、省内に保管されていた玉音放送の原盤を奪取し、放送を阻止しようとした。

録音盤を見つけられないまま、このクーデターは東部軍管区によって鎮圧された。

『日本のいちばん長い日』(1967、2015)

1967年版は三船敏郎、2015年版は役所広司が阿南惟幾陸軍大臣役で主演

当時のほとんどの国民は知ることのなかった宮城事件。全国民の未来を左右することになったこの日の全貌は、映画「日本のいちばん長い日」で描かれている。

毎年8月が近づくとマスコミに取り上げられる宮城事件が一部少壮将校の蛮行であり愚行であったと結論づけられているが、身命を賭して純粋に国を思う無念の感情を、事実で示した唯一の行動であったと思います。

小田敏生(元近衛歩兵第一連隊第一中隊長)の談話から

■クーデターと革命の違い

一般に武力による奇襲攻撃によって政権を奪取することをいう。通常の政権交代方式と違って非合法的であることに特徴がある。

トルコの軍事クーデター(失敗)

クーデターと革命の違いは、同一支配層内部での権力移動か、体制そのものを変革するかの違いである。

ロシア革命(成功)

演説するレーニン

革命は支配階級に対する大衆の蜂起とそれに続く既存の体制の転覆であるが、クーデターは支配階級内部の権力争奪である点で革命とも違っている。

■実は終戦直後にも島根県で起こっていた「松江騒擾事件」

太平洋戦争敗戦直後に各地で発生した無条件降伏に反対する騒擾事件の一つ。皇国義勇軍事件、島根県庁焼き打ち事件とも呼ばれる。

焼き討ちされた島根県庁

昭和20年8月24日午前2時ごろに島根県庁から出火・炎上するとともに、同3時ごろに知事公舎・郵便局・島根新聞社・松江放送局・変電所などが相次ぎ襲撃を受ける。

連合軍の進駐を二日後にひかえた八月二十四日を蹶起の日とし、松江を起点とした全国一斉蜂起に思いを馳せた岡崎らの行動は、本土決戦の構図の上からは けっして唐突なものではなかった。

猪瀬直樹『天皇の影法師』第四章「恩赦のいたずら」からの引用

県警察と松江63連隊が出動し午前9時には犯人グループを連行した。犯人は「皇国義勇軍」を名乗る20歳前後の男女47人だった。

■破防法が初めて適用された「三無事件」

1961年、警視庁に摘発されたクーデター事件であり、破防法が初めて適用された事件としても知られる「三無事件」。

破防法=破壊活動防止法(1952年制定)。元々は武装闘争路線を放棄する前の日本共産党を想定。

事件を報じる新聞

右翼と旧軍人らによるクーデタ計画事件。首謀者の川南工業元社長、川南豊作は〈無軍備・無税・無失業〉の三無主義を唱え、また当時の池田勇人内閣では共産革命を抑止できないとして、閣僚ら要人の暗殺を計画。

安保闘争などによる日本の“共産化”に脅威を感じた将校たちが、政府要人暗殺を図った事件だったと報じられている。

旧陸軍士官学校グループの国史会、自衛隊幹部にも働きかけたが失敗。

1961年12月12日に警視庁等が32箇所を捜索、川南豊作他13人を逮捕し、日本刀8振、ライフル銃2丁、防毒マスクなどを押収した。

■三島由紀夫が決起を訴えるも失敗した「三島事件」

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