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メダリストから実業家、新聞記者、うどん屋も 。アスリート達の第二の人生が波乱万丈すぎ

実業家、うどん屋、パティシェ、新聞記者、ADetcメダリスト、アスリートの第二の人生が波乱万丈すぎる

更新日: 2016年08月22日

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toshihareadaさん

北島が代表を務めるのは、2009年6月に設立した「IMPRINT」と、昨年3月に設立したばかりの「パフォームベタージャパン」という2社である。

スイミングクラブと人材育成、そして物販という3本柱があれば、今後5年間は年1億円から2億円以上の収入が見込めるでしょう

初めて脚がガタガタガタガタと震える

 夢舞台に立つ喜びと緊張で、14歳の少女は感情をうまくコントロールすることができなかった。決勝では50mをトップで折り返すも後半に失速。メダルに届かず、6位に終わった。

報道記者として、約4年半、神奈川県警を担当した。その後、運動部に配属されてからは、水泳を中心に取材を続けている。

。現役時代、アテネ五輪(2004年)ではチームで銀メダルを獲得。北京五輪(2008年)にもチームで出場して5位タイに入った

「グアム合宿では朝6時から夜の11時くらいまで、プールで練習をしていたんです。昼休憩の1時間にプールサイドでご飯を食べて、あとは練習という日々で、本当に大変でした。先日、コーチをされていた井村(雅代)先生にお会いしたときに当時の話をしたんですけど、井村先生が『今日の練習どうだった?』と聞くと、ある選手が『死ぬ気でがんばりました』と答えたんです。井村先生が、『死んでへんやん!』

アテネ五輪前のグアム合宿がいちばんつらかったという。炎天下のなか、屋外プールで長時間のトレーニングを続けた。

それから約8年、35歳になった川嶋は現在、東京サウンドプロダクションに勤務。

それから約8年、35歳になった川嶋は現在、東京サウンドプロダクションに勤務。テレビ朝日のスポーツ番組制作を担当しており、リオ五輪でも水泳の放送に携わっている。

2010年からは自分でVTRなどを制作するディレクター的な仕事が増えて、現在の肩書は「ディレクター」だ。ADから昇格したものの、まだ「ADに近いディレクターです」と自分のことを表現する。そして、多忙な日々は続いている。

清水エスパルスユースで活躍した佐野さんは、18歳で当時のU-19日本代表にも選ばれ、香川真司や内田篤人らとプレー、将来を嘱望された選手の一人だった。

2007年、清水エスパルスに入団を果たすも、一度も試合に出場することなく選手を断念。現在は警察官として日々奮闘しているという。

入団会見の10日後、練習中の佐野さんは、前十字じん帯断裂に半月板損傷という全治7ヶ月の大ケガを負ってしまう。2年目には高校の同級生だった妻・衣里さんと結婚し、第一子が誕生するもケガの連続により第一線でプレーはできず

佐野さんは3年間で一度も試合に出場することなく戦力外を通告された。2009年12月にトライアウトを受けるもオファーはなく、引退を余儀なくされたのだ。

第二の人生については「高卒でも資格がなくても入れるのようなものを探した」という佐野さんだが、家族を養うため、アルバイトをしながら予備校に通い、地方公務員を目指して毎日10時間の猛勉強を敢行。妻の実家で生活しながら、月の収入は10万円ほどだったという。

世界ランキングでもトップ。オリンピックに行きたいという夢がかなって、たくさんの取材を受けました。当時は中学3年生で、うれしいなという気持ちが強くて、五輪で戦うというイメージができていなかったと思うんですよ。気づいたら本番になっていて、レース前の練習では、コーチの前で泣いたこともありました

野球選手から人気パティシエに!
1990年代に広島東洋カープで活躍した小林敦司さん。野球選手を引退後は料理の道に進み、現在は代官山に「2-3Cafe Dining」というカフェをオープン。人気パティシエとして活躍されています。

野球選手から人気パティシエに!
1990年代に広島東洋カープで活躍した小林敦司さん。野球選手を引退後は料理の道に進み、現在は代官山に「2-3Cafe Dining」というカフェをオープン。人気パティシエとして活躍されています。

サッカー選手からうどん屋の主人に!

サッカー選手からうどん屋の主人に!
ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)で活躍した石塚啓次さん。引退後はアパレルブランドを立ち上げ成功しましたが、その会社を辞めて次に挑戦したのがうどん屋さんでした。しかも出店したのはスペインのバルセロナ。現地ではかなり評判なんだそうです。

■引退後のアスリートたちが陥る罠

現役時代はちやほやされたが、現役引退した途端、周囲の態度が変わる。そのことにショックを受けるアスリートは多いというのだ。

アスリートやメダリストは社会的な経験や失敗体験が少なく、危うい判断をしてしまうこともあり、良いことばかり言って近づいてくる人は警戒しなければいけないことに気づかず、簡単にだまされてしまう

佐々木は日産自動車に勤務する元・箱根駅伝ランナーだ。しかも、ただ箱根を走っただけではない。大東文化大学で3年連続出場を果たして、“花の2区”を区間6位と好走している。

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