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47都道府県の歴史的偉人 1 「北海道・東北編」

どこは誰なのか?それ以上に、誰はどこなのか?いろいろ悩みどころは多いですが、ご当地の偉人を知って敬愛して、地元を愛し日本を愛してくれる人がいたら良いなと思います。Think Globally,Act Locally!

更新日: 2017年05月05日

来栖崇良さん

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1669年、松前藩による生活圏への侵害や不当な貿易によるアイヌ民族の不満をまとめあげて蜂起する。


2カ月におよぶ徹底抗戦をするものの、火力の差から戦局は不利になっていく。


そこへ松前藩より申し込まれた和睦に応じた際に殺され、指導者を失ったアイヌ軍の勢力は壊滅される。

もともと南部氏に属していたが、南部氏内での家督争いで南部信直に対する抵抗勢力として立場を悪くする。



1588年、津軽地方の統一を果たし、南部氏から独立した大名としての地盤を固めると、時の権力者である豊臣秀吉に接近し、弘前藩初代藩主としてその地位を確定させた。

89年、胆沢に侵攻してきた朝廷軍を見事な戦術で撃退した蝦夷(えみし)の指導者。


その後、坂上田村麻呂が率いる大軍の徹底的な攻撃に屈して投降し、京都に連行され、処刑された。


故郷を守るために戦い、仲間を守るために降伏した古(いにしえ)の英雄。

1584年、伊達家第17代当主となると、短い期間で東北最大の勢力となるが、豊臣秀吉への恭順をハッキリさせなかったため大幅に領地を没収される。

その後、徳川家康には領地拡大の約束を破られる。


最終的には、戦争による領土拡大ではなく、内政による国土開発で仙台藩を100万石の領地に変えた。

佐竹氏第19代当主となると、1590年頃には常陸国全域に権勢を誇った。

権力基盤が安定していなかった常陸佐竹氏の全盛期を築き、豊臣政権下屈指の大名となる。


しかし「関ヶ原の戦い」で徳川家康の心証を悪くし、出羽国秋田郡へ減転封となって、久保田藩の初代藩主となった。

1760年、日向高鍋藩主の次男坊から名門・上杉家の米沢藩に養子入りするが、当時の米沢藩は領地返上寸前の借金大国であった。
プライドが高く保守的な上杉家の旧臣達の反感を買いながら、財政改革を進める。


紆余曲折ありながらも米沢織などの名産品を開発し、20万両(現在の価値で換算すると約100億円)におよぶ借金の返済に成功した日本史上屈指の名君。

第2代将軍・徳川秀忠に実子と認められず、 信濃高遠藩主・保科正光の養子として育つ。

やがて第3代将軍・家光には実弟として認められ 、またその高過ぎる能力を買われ、会津藩主の地位ならびに11歳で第4代将軍となった家綱の補佐を託される。


「明暦の大火」で抜群の政治判断と復興政策みせるなど、民を第一に考えた日本史上屈指の名君。

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歴史、歴史的なもの、伝説、それらから派生するテーマを作ってます。

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