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道楽生活さん

▼村山聖・・・・・・病と闘い29歳で燃え尽きた、かつて羽生善治と並び称された天才

村山 聖(むらやま さとし、1969年(昭和44年)6月15日 - 1998年(平成10年)8月8日)は、将棋棋士、九段(追贈)。

森信雄七段門下。棋士番号は180。いわゆる「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人。

広島県安芸郡府中町出身。血液型はAB型。

進行性膀胱ガンのため、29歳の若さで亡くなった村山聖(さとし)八段。

病床にあって、最後の最後まで将棋の棋譜をつぶやいていたという。

自分の人生が長くないことを悟っていた村山さんは、谷川さんの活躍に触発され、プロ棋士になることを決意します。

▼入院中に将棋と出会う 将棋にはまり朝から晩まで指し続けた

入院中に父から教わり、将棋と出会う。体に障ると何度注意されても朝から晩まで指し続けた。

母には、小学館の学習雑誌、「将棋世界」などの本を持ってきてもらった。

村山少年はすぐに将棋の魅力に取り憑かれ、身体に悪いからと何度も注意を受けましたが、朝から晩まで将棋を指していました。

▼5歳のとき、腎臓の難病「ネフローゼ」にかかっていることが発覚

幼い頃から腎臓に持病を抱えていた。ネフローゼ症候群のために小学校時代の半分を病院のベッドの上で送った。

兄姉の3兄姉の次男として広島大学病院で生まれる。5歳のとき、腎臓の難病「ネフローゼ」にかかっていることが発覚。

府中町立府中小学校に入学するも病状が悪化し、5年生まで国立療養所原病院(広島県廿日市)に入院し、院内学級で過ごす。ともに入院していた子が亡くなることもあった。

▼1986年11月5日にプロデビュー 奨励会入会からプロ入りまで2年11か月と異例のスピード

1986年11月5日にプロデビュー。奨励会入会からプロ入りまで2年11か月は、谷川浩司や羽生善治をも超える異例のスピードである(しかも村山は病気による止むを得ない不戦敗がたびたびあった)。

風貌のイメージともあわせ、「怪童丸」の異称で呼ばれる。

奨励会員時代から「終盤は村山に聞け」とまで言われたほどであった。

その代表的なエピソードは、村山を含む棋士達が、A級順位戦の対局を関西将棋会館の控え室で検討していたときのことである。

そこへ、関西の大御所で詰将棋作家でもある内藤國雄が入室してきて「駒(持駒)はぎょうさんある。詰んどるやろ。」と言う。

そこでほとんどの棋士達が一斉に詰み手順を検討し始めたところ、「村山くんが詰まんと言っています。」という声が上がる。

後に内藤は「詰みを発見しようという雰囲気の中で『詰まない』と発言するというのは相当な実力と自信」と賞賛している。

▼その実力は「東の羽生、西の村山」といわれ並び称される

棋士としての闘争心は非常に激しく、ライバル棋士たちに対しては盤外でも敵意を剥き出しにすることが多かったが、羽生善治に対してだけは特別の敬意を払っていたという。

当時、羽生を筆頭として10代でプロ棋士になった者らは恐るべき勢いで勝ち進み、新人類棋士、チャイルドブランドなどと呼ばれ、羽生善治、佐藤康光、森内俊之と村山の4名が、その有力なメンバーであった。

この世代が後に「羽生世代」と呼ばれ、将棋界の中心メンバーとなった。また、「東の羽生、西の村山」と並び称され期待されたが、体調不良で不戦敗になったり、実力を発揮できないこともあり、実績では羽生に遅れを取った。

翌年、1990年10月1日、第13回若獅子戦決勝で佐藤康光を破り、棋戦初優勝。

▼天才・村山聖の棋士人生には常に脳裏に"死"がつきまとわる

村山の目標は他の多くの棋士と同じく「名人」だったが、10代の終わりで「名人になって早く将棋を辞めたい」とも語っていた。

自分の時間が残り少ないことを裏返しの言葉だとされている。

1989年6月15日夜、雀荘にいる森のところまで村山がわざわざ姿を見せ、「二十歳(はたち)になりました」と話す。

その理由は「20歳まで生きることができて嬉しい」ということであった。

▼村山聖・27歳 膀胱ガンが発覚 手術は8時間半にも及ぶ

平成8年、血尿に悩まされていた聖に告げられたのは、膀胱ガン。医者から「手術しないと半年の命」と宣告されたのだ。

命をつなぐためには、手術をするしかない。

28歳の誕生日前日に行われた手術は8時間半にも及んだ。

手術は聖くんが28歳になった翌日に行われました。8時間半にも及ぶ大手術のすえ、膀胱と生殖機能を失います。

この数日後、見舞いにいった人が思わぬ光景を目にします

静まり返った病室に逆光のシルエットで浮かび上がった聖くんはどっかりとベットに座り込み、何本もの点滴の管がついた右腕を振り上げ、ばしーんと駒を将棋盤にたたきつけました。

聖くんは棋譜を片手に将棋盤に向かい駒を並べていました。

見舞客は、空気すらも息をひそめるような緊張感にたたずむのみだった、といいます。

▼村山聖の将棋に対する意気込み 対局室の襖を隔てた脇の部屋に看護師を待機させてまでも対局に臨む

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