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日本にも三国時代あった!! 日本の三国時代について

日本にも中国の三国志時代のように、勢力を三分する三国時代があったようなのでまとめてみました。

更新日: 2016年09月07日

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この記事は私がまとめました

3takuさん

◆三国時代とは?

歴史の中で3つの勢力が拮抗し、三つ巴状態になることを言います。
三つ巴はあまり起きることがなく、日本の歴史で起きたことはないとされています。

◆海外における三国時代の例

三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。

1番有名な三つ巴状態の例は、2世紀から3世紀に中国で起こった三国志の時代です。
北部の魏、南西部の蜀、南東部の呉の三国が勢力拮抗状態となり、およそ40年間三つ巴状態となりました。

朝鮮の歴史における三国時代(さんごくじだい)とは朝鮮半島および満州に高句麗、百済、新羅の三国が鼎立した時代をいう。

日本の隣の朝鮮半島では、4世紀から7世紀にかけて北部の高句麗、南西部の百済、南東部の新羅の三国の勢力が拮抗し三つ巴状態となります。
ただし、北部に三国の勢力に属さない伽耶や任那といった勢力があったとも言われています。

◆日本における三国時代とは?

日本の歴史では、源氏vs平家、徳川vs豊臣、幕府vs薩長同盟のように、勢力が二分することはあっても、三つ巴状態になったことはないされています。
しかし、近年の歴史研究から、日本にも三つの勢力が拮抗する三国時代に類する時代があったことが分かってきました。

以下に、日本の三国時代についてまとめます。

第1の国:鎌倉幕府

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、日本の武家政権。同幕府の約150年間を鎌倉時代と呼び、源頼朝を創設者とし、北条時政・北条義時ら坂東武士が鎌倉に設立した幕府である。

朝廷支配だった平安時代が終わり、武家政権である鎌倉幕府が設立されたことは、多くの人が知っていると思います。

第2の国:朝廷

支配勢力:天皇と皇族及び公家
年代:不明~現在

鎌倉幕府を東国において朝廷から独立した独自の特質をもつ別個の中世国家と見なし、西日本を中心とする王朝国家と鎌倉幕府とは、「相互規定的関係をもって、それぞれの道を切り開いた」とする。

実は、鎌倉幕府は関東を中心とした部分的な統治であり、西日本は依然として朝廷による支配が続いていたとの研究が近年されるようになってきました。(東国国家論や二つの王権論など)
この考えには異論もあるそうですが、少なくとも承久の乱までは、鎌倉幕府が九州など支配していたという事実はなく、朝廷における西日本支配が依然として続いていたことは事実のようです。

第3の国:平泉

平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となった。戦乱の続く京を尻目に平泉は発展を続けた。半ば独立国であった。

12世紀当時の東北地方は、奥州藤原氏という勢力が朝廷の混乱などを尻目に独自の政治体制を築いており、半独立国家のような状態(現在でいう自治政府のような感覚)になっていました。

◆年代の確認

奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)は、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族。

奥州藤原氏の東北支配は、1087年から1189年と言われています。

1192年(建久3年)に源頼朝が征夷大将軍(以下、将軍)に任官して始まったとされているが、2006年頃から、頼朝の権力・統治機構はそれ以前から存続しているので実質的な成立は1192年より前の1185年とする新説が、マスメディアを中心に紹介され始めた。

かつては『良い国(1192)作ろう鎌倉幕府』と言われたように、鎌倉幕府の成立は1192年とされてきましたが、近年では1185年とする説が有力となり、今ではほとんどの歴史教科書が鎌倉幕府の成立を1185年としています。

◆つまり・・・

鎌倉幕府ができた1185年から奥州藤原氏が滅亡する1189年は、元々日本を統治していた朝廷と合わせ、3つの勢力が日本を統治する三国時代だった。

以上のことを考えると、1185年から1189年という短い期間ですが、西日本は朝廷、関東一帯は鎌倉幕府、東北地方は奥州藤原氏が支配し、日本国内には独立国家に近い勢力が3つあったようです。

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※当記事は2016年9月6日に作成したものです。

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