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日本万国博覧会(EXPO'70)から未来へ実現、普及したもの

日本中が熱狂した大阪万博。あれから46年経ち、夢見た未来はどれだけ実現、普及したのでしょうか。

更新日: 2018年04月25日

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ilovepradaさん

‐1970年の大阪万博から46年、実現・普及したもの‐

「人類の進歩と調和」をテーマにしたアジア初、日本で最初の国際博覧会

1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市で開催された国際博覧会。
入場者数:6421万8770人
参加国:77カ国

▼動く歩道

1970年の大阪万博以降、一般的に普及。

大阪万博の頃は樫切山方面からずーーーと太陽の塔の手前まで、屋根付きの動く歩道が整備されていた。今思うと凄いことですよね。 pic.twitter.com/EYx63HGaeE

冷房が完備されていたようです。

開会日から故障続きの動く歩道で「キャーッ」という悲鳴とともに、動く歩道に乗った人たちがあとから将棋倒しになり75人が負傷した。

大阪万博より3年前の1967年、日本で最初に大阪の梅田阪急に設置された。

歩く歩道、リニア。大阪万博はマジ夢しかないと思ったが、実現してるんだからね。

▼ワイヤレスホン

電気通信館でNTT(当時は日本電信電話公社)が未来の電話機として展示した。
のちのPHSや携帯電話の開発に活かされた。

来場者が手にとって操作でき、日本国内への通話、会場内の端末同士の通話ができた。
商用サービスではなく体験コーナーだったため、無料で何時間でも通話ができたのだ。
が、予想外に長時間通話する来場者が多かったため、途中から持ち歩けないように席に座って通話してもらうよう展示方法を変更したそう。

展示した携帯電話は重さ660グラム。
端末から出た電波は室内に設置したアンテナで受信して隣室にある交換機に送り全国の電話網につなげた。

400平方メートルの部屋に約100カ所のブースを配置し、一人当たり約30分の通話を無料で楽しめた。

1970年、僕は大阪万博へ行った。「電気通信館」というパビリオンで、初めてワイヤレス•テレフォンを触り、東京の実家に電話した。通じた。母と会話した。電話機は両手で抱えるほどの大きさだったけれど「これが未来なのだ」と興奮した。未来にはその先があるとは、その頃想像もできなかった。

▼テレビ電話

迷子センターで利用され、映像で親子かを確認し合った。

大阪万博の「迷子センター」はハイテクなテレビ電話を通して事態の解決を図っていたとのこと。もはやそれを利用したいがために迷子になる意義があったんじゃないかとか本末転倒なことを考えてしまう、Skype世代のわれわれ。あぁこの映画のDVDやっぱり買おうかな(笑)

▼缶コーヒー

1969年、世界初の缶コーヒーを発売したUCCだったが、苦労して開発したもののなかなか販売に結びつかなかった。
1970年、大阪万博のビッグチャンスに目を付けた。他社に先駆けて営業すればきっと成功すると。

各パビリオンや飲食店には、万博開催前から積極的なセールス作戦を実施。
その努力の結果、日本のパビリオンと飲食店は80%、海外パビリオンはそのすべてがUCCを取引先に選んだ。

ちなみに缶コーヒーを世界で初めて作り出したのは日本 コーヒーを缶詰で売るアイデアは当時笑われましたが、実験的に大阪万博で売ってみたら大ヒットしたそうです(作ったのはUCCのミルク入りコーヒー)

日本へのコーヒー豆流通は昔から行われきた中、 第二次世界大戦を期に一時途絶えました。 そして1950年代から再開し、uccの代表上島さんによる 日本の「缶コーヒー」が60年代に誕生しました。 当時は不人気だったが70年代「大阪万博」の開催により 外国人の爆発的人気を生み、世界へ。

▼ヨーグルト

明治ブルガリアヨーグルトのフォントはブルガリア館そのもの

昔の日本のヨーグルトは砂糖や香料を加えゼラチンなどで固めたものが多い中、ブルガリア館のヨーグルトはさわやかな酸味が特徴でした。
この本場のヨーグルトに感銘を受けた明治は商品化を目指し、1971年『明治プレーンヨーグルト』として発売。

ところが、日本人には馴染みがなくなかなか受け入れられませんでした。
そこで明治は、本物の証として「ブルガリア」を商品名に使うことを考えブルガリア政府に依頼。
当初は断られましたが、品質の高さと「本場ブルガリアと同じ本物のヨーグルトを日本の食卓に届けたい」との熱意が認められ、国名使用の許可を取得。
こうして1973年12月、『明治ブルガリアヨーグルト』が誕生。

@nonobike 前も書いたけどブルガリアヨーグルトのブルガリアってロゴは大阪万博のブルガリア館の入り口のロゴをそのまま起用してます。ブルガリア館のロゴを誰が作ったのかわかりませんけど。そんな話があるプロダクトって魅力的に思います(笑)

1970年大阪万博で、当時の日本は乳製品の輸入を禁止していたところを、万博会場を保税倉庫扱いにする事によってブルガリアヨーグルトを展示できたって話を思い出した。 / “かつお節 ミラノ万博に特例で輸出へ NHKニュース” htn.to/xTJmEN

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