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青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)は、中国における、大刀の一種。 名に「青龍」を冠するのは、刃の部分に青龍の装飾が施されている為である。

小説『三国志演義』において、武将の関羽が冷艶鋸(れいえんきょ)と呼ばれる青龍偃月刀を愛用していることから、関羽を象徴する武器であり、中国語では関刀(グアンダオ)という呼称もある。

形状は日本の薙刀に似ており、長い柄の先に湾曲した刃を取り付けたものであるが、刃は日本の薙刀よりも幅広で大きくなっている。 また薙刀に比べて、柄の長さは刃の大きさに対してやや短めになっているが、これは(主に馬上で)片手での取り回しの良さを考慮した為であり、長巻に近い外観とも言える。

☆朱雀

朱雀は南方を守護する神獣とされる。翼を広げた鳳凰様の鳥形で表される。朱は赤であり、五行説では南方の色とされる。鳳凰、不死鳥、フェニックス、インド神話に登場するガルーダ等と同一起源とする説や同一視されることもあり、類似が指摘されることもあり、間違われることもある。

四方は南、四季は夏で、四色は朱(赤)である。五佐は祝融(しゅくゆう) 若しくは 朱明(しゅめい)で、五行は火である。

中国の伝承で方位や星宿の象徴の神。四方を司る天の四神のひとつ。南方を司る。鳥の姿であるという。

「この地の体を見候ふに左青竜、右白虎、前朱雀、後玄武、四神相応の地なり」と『平家五都遷』にある。

☆朱雀にまつわる場所

朱雀門

朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門であった。「しゅじゃくもん」ともいう。

中国の条坊制を模範に造営された古代都城では、中央北辺に宮殿、官衙からなる宮城が置かれた。平城京では平城宮、平安京では平安宮などといい、大内裏とも呼ばれた。大内裏には四方に12の門が備えられ、各々有力氏族の姓が付与されていた。南門は「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨(へいげい)する最も重要な門であり、朝廷の有力氏族、大伴氏の姓が付けられ「大伴門」と呼ばれていた。714年、これを漢風に改め、四神において南方を守護するとされる朱雀の名を冠したものとした。朱雀門から都城正門の羅城門に続く大路を朱雀大路といい、現在の千本通に相当する。

☆朱雀にまつわる伝説

朱雀の鬼

平城京の朱雀門(710年奈良)は平成9(1997)年に復元されかっての都の跡地をご承知 の通り平安京・朱雀門(806年京都)の跡地は地元の人ですら忘れられている。
 
ここから南へ羅城門まで約3.7K、幅85メートルの道(広場といった方が正確かも知れない)が走っていた。
千本通出世稲荷前にあった朱雀門。かってこの門は平安の都を東西に二分するメーンストリート朱雀大路の起点であり、大内裏の入り口であった。
桓武天皇が大内裏造営に際して建てた外敦十二門の一つで、正面47メートル奥行き 十四メートルの石壇上に七門五戸の層を重ね、屋根は入母屋造りカワラぶき。棟上の大きな鴟尾(しび)が空をつきあげ、弘法大師が筆をふるった「朱雀門」の額をかかげた桜門は、下をくぐる都の公家、姫君たち、人々の目をみはらせに違いない。
だが、この京のシンボル、内裏の荒廃につれて、いつの時代からか荒れ放題、のちぬすっとやこじきの住み家となったとか、その美の悲しい末路をあわれんでだろう、朱雀門には怪奇な伝説が多い。その一つ____。

中納言紀長谷雄は、しきりに雨の降るなかを、帰宅をひとり急いでいた。内裏での仕事が 思わぬ手間をとり、日はすでにおちていた。
長谷雄が朱雀門を抜けようとしたときだった。急に一人の男が立ちはだかった。
「中納言さま、実わお願いがありますのじゃ。これから、この門の桜上で一手、双六の手 合わせをしたいとおもいますが、いかがでござろう」
長谷雄がとまどっていると、正体不明の男は続ける。
「中納言さまの腕は聞いております。でも、私も双六天狗ではひけをとらない方で・・・・・。
私が負けたらば、一人の美女を差し上げますが・・・・」

そうまでいわれれば長谷雄とて、あとにひけない。二人は門になぼると、盤に向かった。
美しい女が立ち合い人、コマは着々と進んだが勝負は互角。それでも灯明の芯がジジッ と鳴る明け方、長谷雄が勝った。
「いやァ、恐れ入りました。聞きしにまさる腕。どうぞ女を連れてください。ただ、女 は百日間、手をふれては困りますのじゃ。と、いいますのも、実は私・・・・」
男の述壊によれば、自分は朱雀門に住む鬼で、女は死んだ都の美女たちの美しい部分 を集めてつくった人間。霊が固まるのに百日間の日数が必要だというのである。
長谷雄は女を家に連れて帰った。しかし、その美しさに百日間はあまりに長かった。
ついにある日、鬼との誓いをやぶってしまった。と、どうだろう。女はたちまち水になって 流れてしまった

☆白虎

白虎(びゃっこ、拼音: báihŭ パイフー)は、中国の伝説上の神獣である四神の1つで、西方を守護する。白は、五行説では西方の色とされる。

細長い体をした白い虎の形をしている。また、四神の中では最も高齢の存在であるとも言われている。(逆に、最も若いという説もある)

俳句において秋の季語である「白帝」と同義であり、秋(西・白)の象徴である。

中国の古代神話中で、妖邪達を最も恐れさせた、法力無限の四大神獣は、青龍、白虎、朱雀、玄武の四獣です。西は白をなし、故に白虎は西方の神様で、青龍とともに邪を沈める神霊です。同時に白虎は戦いの神でもあり、邪を寄せ付けず、災いを払い、悪を懲らしめ善を高揚し、財を呼び込み富を成し、良縁を結ぶなど多種多様な神力を持つので、権勢や尊貴の象徴です。

中国の四聖獣の中で、龍とよく対比されるされるのが"白虎"です。虎は百獣の王で、その猛威と伝説中の妖怪を打ち滅ぼす能力により、陽の神獣とされるようになり、よく龍と一緒に出てきます。"雲は龍から、風は虎から"といい、魔物たちが最も恐れる存在となりました。

白虎は戦神でもあり、殺伐の神です。邪を寄せ付けず、災いを払い、悪を懲らしめ善を高揚し、財を呼び込み富を成し、良縁を結ぶなど多種多様な神力を持つので、権勢や尊貴の象徴です。

中国の伝承で方位や星宿の象徴の神。四方を司る天の四神のひとつ。西を司る。

妻、妾、子女、息子の嫁などの女子や財産、武力を司る。

風水での四神相応の考え方では西に大きな道があることを白虎とする。また陰陽の思想においては東の青龍と対になり、陰虎と陽龍として表されることもある。

☆白虎にまつわる場所

虎ノ門

皇居の周辺に数ある「門」の中の1 つだった虎ノ門は、明治6年(1873)に撤去され、現在では門跡の一部が文部科学省脇に残っているのみです。町名の由来ともなったこの門の名は、四方に、青龍・白虎・朱雀・玄武という獣神を配する四神思想(しじんしそう)によるものと推定されています。江戸城の西に位置する虎ノ門は、西の獣神「白虎」にちなんだ名になったわけです。ほかにも諸説ありますが、地下鉄入口付近に虎の像がつくられているのも、この説が有力視されているからでしょう。

☆玄武

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