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【日本人最強】室伏広治を超える伝説的エピソードを持つ日本人とは?

日本人最強の身体能力を誇るハンマー投げ元金メダリストの【室伏広治】を超えるエピソードを持つ日本人がかつて存在しました。その名前が【木村政彦】◆日本人最強/身体能力/室伏アレクサンダー広治/伝説/オリンピック

更新日: 2019年10月05日

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日本人最強の男

実績

2001年世界陸上エドモントン大会銀メダル受賞
2004年アテネオリンピック金メダル受賞
2011年世界陸上大邱大会金メダル受賞
2012年ロンドンオリンピック銅メダル受賞

伝説的エピソード

ビーチフラッグスというスピード競技で世界選手権100Mのメダリストと勝負してなんと勝ってしまいました。

100m10秒台で走れるそう

横浜-巨人戦でも始球式を行い131km/hを計測

室伏には野球経験は無く、一発勝負でのストライク

立ち幅跳びでは360cm以上を飛ぶ人間離れした瞬発力を持つ

ちなみに、1900年のパリオリンピックから1912年のストックホルムオリンピックまでの4大会ではオリンピックの正式種目であり、公式世界記録は、レイ・ユーリーの記録した3m47cm

握力120kg以上(針が振り切れて計測不能)

2008年、北京五輪の数か月前、バートン・ソリン(握力王といわれるリチャード・ソリンの息子)と共にトレーニングをしているとき、なんのウォームアップもなしにハンドグリッパーのCOC/No.3をクラッシュしたことがある(ちなみにクラッシュに必要な握力は280 lb = 約127kg)。今までにNo.3をクラッシュした日本人は室伏広治を除いても僅か5人のみ。そして、初握りでのクラッシュは前代未聞とのこと。

高校3年生時、べにばな国体では68m16を投げ2位になる。

実はこの大会に出るまでほとんどやり投の経験はなく、小石を数回投げ勘をつかんで本番に挑み、圧倒的な記録を出してその大会で入賞してしまった。

ボブスレー長野オリンピック日本代表候補に選出される

1996年、東京ボブスレー・リュージュ連盟が行ったトライアウトに参加。全種目(60m走、20m走、立ち五段跳び、ベンチプレス、スクワット)で満点を出して[50]長野オリンピック日本代表候補に選出されるも、ハンマー投に集中することを決めたとして出場を断念

樽投げ世界一決定戦において、第2・3回は共に室伏広治がNo.1となり、第3回で8m25cmという大記録を打ち立てた。

樽投げでは、(ハンマー投げ以外の)世界トップクラスの投擲選手を集めてもNo.1

ストラップなしで指先をバーに引っかけただけの状態で、地面にある重さ200kgものバーベルを引き上げて肩にのせるハイクリーンを行うことが出来る

重さ50kgものダンベルプレートを、指で掴むだけの状態で持ち上げることが可能

ベンチプレスは250kgに達し、スナッチでもオリンピックの重量挙げ代表より重い重量を扱えたとさえされる

室伏を超える伝説を持つ日本人とは?

実績
1917年(大正6年)9月10日 -
1993年(平成5年)4月18日)(満75歳没)

日本の柔道家で段位は講道館柔道七段。その荒々しい柔道スタイルから「鬼の木村」の異名を持つ。

全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されることが多い。

10歳から竹内三統流柔術を修行

旧制鎮西中学(現・鎮西高等学校)4年(現在の高校1年の年齢)には講道館四段を取得。全国大会では大将として鎮西を率い、各種大会で圧倒的な強さで優勝に導き、「熊本の怪童」「九州の怪物」と全国にその名を轟かした。

「鬼の牛島」の異名を持つ牛島辰熊の東京の自宅「牛島塾」に引き取られて弟子として激しい稽古を受ける。

1人で出稽古に回り1日10時間という練習量をこなし強さを磨いた。

睡眠時間はわずか1日3時間で、「寝てる間は、練習できないので進歩しない」と、睡眠時間を少なくし、寝ている間でさえイメージトレーニングを行っていた。

練習で大木を一本枯らしてしまった。

夜になると、師の牛島にならい大木に帯を巻いて一日1000回打ち込みをし、遂にはその大木を一本枯らしてしまった。

常識外れのトレーニング方法

単に高重量を扱うだけではなく、例えば100kgのベンチプレスを1時間1セットで何度も繰り返す、仕上げに腕立て伏せを1000回行うなどといった非常に激しいものだった。

桁外れのパワー

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