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カープ女子は知らない!?「海の向こうの広島東洋カープ」

東洋の野球大国ニッポンでプレーし、いずれはメジャーに挑戦したい──。そんな夢を抱く若者たちが集うドミニカ共和国「カープアカデミー」。日本から送られた広島選手の古いユニフォームに身を包み、遠い国での活躍を夢見る選手たちを自前で育てる広島独自の育成システムとは。

更新日: 2016年09月11日

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広島東洋カープ、25年ぶりのリーグ優勝

プロ野球、セ・リーグは9月10日、広島が巨人を6対4で下し25年ぶりのリーグ優勝を決めた。

優勝へのマジックを1としていた広島が巨人に逆転勝ちし、25年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした。

カープ優勝!!! 25年ぶり 本当におめでとうございます❤️

しかしここまでの道のりは、険しいものだった。FA制度導入以降、主力選手の流出が相次ぎ、15年連続Bクラスも経験。それでも地道に選手を育て、歓喜の瞬間を迎えた。

独特の選手育成法に加え、米国流のボールパークの理念を取り入れて09年に開設したマツダスタジアムが人気を集め、観客動員数が飛躍的に増加した。収益が大幅に向上したことによって、FAで一度は広島を去った黒田博樹投手や新井内野手を昨年呼び戻すことが可能になり、大物のベテランと若手の力がかみ合った今年の快進撃につながっている。

広島の強さの秘密は「独自の育成哲学」

コアなファンではなくても、「カープは思わず応援したくなる」という声はよく耳にする。ファンも、選手も引き付ける、不思議な引力の源は何なのか。

カープは1950年、原爆と敗戦からの再生の象徴として期待を背負い、広島に誕生した。当初は運営が厳しく、ファンが酒だるで寄付金を募る「たる募金」で存続の危機をしのいだ時期もあるのはよく知られている。いわば、ファンが手作りで支え、育てた歴史を持つ球団だ。

とりわけチーム成績に大きな影響を与えるのが、FA、ドラフト、外国人。
広島は基本的にFAで選手を獲得しない。年俸や契約金で多額のカネがかかるからだ。1993年にFA制度ができて以降、ひとりも獲得していないのは広島のみとなっている。

オーナー松田耕平氏が取り組んだ、ドミニカ野球学校設立、若手選手の海外野球留学など選手育成にカープ球団は定評がある。

国内だけでなく、ドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で育成を行い、スクール出身のソリアーノやチェコ、ペレスなどはメジャーリーグにおいても一流選手として活躍する選手を輩出しております。

市民球団・広島東洋カープの“秘密兵器”「カープアカデミー」

アツい優勝争いを地球の裏側で見守っている場所がある。カリブ海に浮かぶ島、ドミニカ共和国にあるカープアカデミーだ。

ドミニカ共和国にあるカープアカデミー。
日本で活躍する夢を抱いた若者たちが集まる場所だ。
27万㎡という広大な敷地面積に、4つのグラウンドや練習場、宿舎、事務所などを備えている。

カープアカデミーオブベースボールは、野球の盛んなドミニカ共和国において、プロ野球で通用する若手有望選手の育成をめざして、カープ球団が運営する野球学校です。

カープの年俸総額が安い理由は国内・海外問わず生え抜きの人材を育成するというスタンスにある。1990年には日本プロ野球界初の海外アカデミー「カープアカデミー」をドミニカ共和国に設立し、海外の逸材を安価で排出するシステムを作った。

1988年、首都サントドミンゴから東へ約80kmのサンペドロ・デ・マコリス郊外に、旧広島市民球場の10倍にもなる用地を確保し、その2年後の1990年11月29日にドミニカ共和国大統領、国防相、文化相、スポーツ相ら閣僚らを招いた盛大な開校式が執り行われ、カープアカデミーは正式にスタートした。

外国人選手の発掘や育成を目的とし、助っ人を高額年俸で獲得してくるのが主流であった当時のプロ野球界としては画期的な動きだった。

特にお金のかかる外国人選手さえも、自前で育ててしまおうというのが“市民球団”広島東洋カープの知恵でした。

体格や身体能力は日本人にないものを持っているが、それを生かし切れない。速いボールを投げることができても牽制ができない、柵越えを連発できても守備のカバーができない…。そういったところを日本式の練習で磨いていくことがカープアカデミーの役割なのである。

日本から送られた古いユニフォームを着用するカープアカデミーの選手たち。

現地と日本の時差は約13時間。事務所の外では、真っ赤な練習着を纏った選手たちが練習に備えて準備を開始している。胸元にはカープの文字。なんとも不思議な風景だ。

他のメジャーのアカデミーと違って、ここはランニングや体幹のトレーニングなどが多いから、初めのうちはついていくので精一杯。練習がキツいという理由で、1日で辞めた練習生も今年だけで3人くらいいた

カープアカデミーで指導する元1軍投手コーチの古澤憲司さんによると、練習生たちにまず最初に教えることは「上達するためには努力や我慢が必要」だということらしい。

アカデミーからは95年から主戦投手として活躍したロビンソン・チェコや後に米大リーグで活躍したアルフォンソ・ソリアーノらが巣立った。

カープアカデミーからはこれまで20人以上が広島東洋カープで出場選手登録され、中にはその後メジャーリーグ(MLB)で活躍した選手も。

広島は他みたいに巨額の補強費が出せないなら出せないで、自分たちで選手必死に育てたりカープアカデミー作ったり戦力確保の努力はしっかりしてたからなー

カープアカデミー出身選手として初めて、1993年に広島と契約を結んだ。
1995年〜1996年、選手登録され一軍でプレー。1年目は背番号「106」のユニフォームで15勝を挙げ、オールスターにも出場するなど主力として活躍した。
その後、ボストン・レッドソックスに移籍するも、目立った成績は残せず2000年に引退した。

カープアカデミーで才能が認められ、1996年に来日。
1997年に一軍登録され、通算17打数2安打の成績を広島で残す。
そのシーズンオフに提示された年俸に納得せず退団後、ニューヨーク・ヤンキースに移り才能が爆発。
2014年の現役引退までに打率.270、412本塁打の素晴らしい成績をMLBで残した。

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