1. まとめトップ

三度 絞首台に送られるも、死ななかった男の実話

イギリスで起こった本当の話。

更新日: 2016年09月14日

spaceageさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
1 お気に入り 43573 view
お気に入り追加

1884年11月15日未明、イギリス デボン州ババクームのエマ・キース(Emma Keyse)さん宅で彼女の惨殺遺体が発見された。
遺体は、首を掻き切られ、頭部には3か所の傷があった。また、証拠を消すために彼女の身体には、火を放とうとした痕跡があった。

・イギリス ノースロンドンで1816年に生まれた。
・4歳で父親を亡くしている。
・1871年に母親が他界。
・彼女は結婚はしなかった。
・1884年11月15日、自宅で惨殺死体で見つかる。

・犯行現場はイギリス デボン(デヴン)州ババクーム(ババコム)。
・画像は、エマさんが生前 描いたとされる水彩画。
・エマさんの寝室からの眺めとのこと。

・この邸宅には、エマさんのほかに、エマさんの親の代から40年にわたって仕えてきた、2人の老姉妹のメイド(イライザ・ネックとジェーン・ネック)と、コックの女性(エリザベス・ハリス)、召使いの若者(ジョン・リー)が住み込みで働いていた。

◇最初に疑われたのがジョン・リーであった。

屋敷には外から侵入された形跡はなく、凶器のナイフも食料貯蔵庫にあったものだったことから、内部の者の犯行に思われた。

犯行時、家にいた唯一の男性であり、腕に不可解な傷があったため、彼は最初の容疑者となった。

・1864年、イギリス デボン州アボッツカーズウェルで生まれた。
・学校を卒業したのち、1879年に海軍に入隊するまで使用人としてエマさんに雇われる。
・軍に入隊するも1882年、傷病兵として帰還(肺炎だったといわれている)。その後、ホテルや駅など転々と職場を変える。
・記録によると、1883年にかつての雇い主であるエマさんの屋敷から銀器を盗んだとして、有罪判決を受けている。(懲役6か月)
1884年、刑期を終える。このとき、エマさんがジョンに再雇用する旨の手紙を出し、ジョンはその申し出を受ける。
この殺人は、ジョンが復帰してまもなく起こったことであった。

◇裁判と刑の確定

さらなる証拠が発見される。彼の寝床からは、被害者の血と思しきものがついた服、オイルの付着した空き瓶などが見つかったのだ。
それに対しジョンは、それは自分の血だ などと自らの潔白を必死で訴えた。
しかし、彼にはエマさんを殺す動機があるとみられていた。

事件の前にジョンは、エマさんから窃盗の疑いをかけられ、賃金を半額に値切られていたのである。
ジョン・リーは無罪を主張したが、陪審員の耳には届かなかった。

陪審員は僅か40分の協議で有罪を評決し、リーは死刑を宣告された。

◇死刑執行

1885年2月23日、イギリス エクセター刑務所(Exeter Prison )。
当時20歳のジョン・リーの死刑執行 当日。
この日、朝8時から彼の死刑が執り行われることになっていた。

死刑執行人の名は ジェームズ・ベリー。 この道のプロである。 絞首台の装置は 前日からチェックされており、万全を期しての死刑執行である。

・イギリスの死刑執行人。ジョン リーの死刑執行も担当。

・死刑執行人として、1884年から1891年の間に、134人もの死刑を執行したベテランだった。

・のちに記した『My Experiences as an Executioner』という回顧録には、「死刑制度に反対」だと述べている。

ジョン・リーの首にロープが巻かれ、頭からは白い頭巾が被せられた。

午前八時に ジェームズ は装置のレバーを引いた。 死刑囚の乗ったはねぶたを支えるボルトが外れる音がした。

しかし、ここでアクシデントが起こる。
レバーを引いても、はねぶた が開かなかったのだ。

はねぶたを踏んで開けようとジェームズと二人の看守が踏んだのだが、何も起こらなかった。 執行は一時中止となり、ジェームズは装置を調べなおした。
装置には何ら欠陥もなく、砂袋を使用しての実験でも問題はなかった。

再び ジョン・リー が連れてこられた。
落ち着いている彼よりもまわりの者の方がはるかに脅えている。
そして、死刑は執行された。だが、はねぶたは開かなかった。

ジェームズ はこれまでに一三四人の絞首刑を行っている。 このような事は初めての事だった。
今度は二〇分かけて絞首台と装置を調べなおした。 徹底的にである。

死刑囚が三度、絞首台の上に連れてこられた。
ジェームズ は神に祈りながらレバーを引いた。ボルトの外れる音がハッキリと聞こえた。
ジェームズ は悲鳴をあげながらその場に崩れ落ちた。

何度やっても彼の死刑を執行することができなかったのである。
3度目の執行の後に、刑の執行官であるジェームスは、その後の対応について、内務省に問い合わせた。
その結果、ジョンの死刑はひとまず棚上げということになった。

目に涙を浮べた執行官は、三たび失敗を重ねた刑は、法により、もはや執行されない事を告げるのでした。

翌日の新聞には大々的に、ジョン・リー の絞首刑の様子が報じられた。 英国の内務大臣は、ジョン・リー は既に死刑に処せられたも同然とし、彼を終身刑に減刑した。 彼は本当に無実だったのでは。 そんな噂も囁かれだした。

そして、22年後。なんと、彼は恩赦で釈放されることになった。
かつて絞首台にかけられた男が、生きて刑務所から出られたのだ。

彼のその後の行方については・・・。

1 2





spaceageさん