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理系の子 科学のオリンピック

デイヴィッド・ハーン/死没 デイヴィッド・ハーン 死亡 2016年9月27日, アメリカ合衆国 ミシガン州 シェルビー

まだ高校生だった1994年に自宅の裏庭に完全自作の原子炉を製作し、稼働させたことにより周囲に深刻な放射能汚染を生じさせたDavid Charles Hahn(デビッド・チャールズ・ハーン)氏が9月27日、死去していたことが一部報道により明らかとなった。

39歳だった。

ハーン氏は、自宅の裏庭に、原理的には増速炉(Breeder reactor)の一種を製作し、旧式の時計に使用されていた発光塗料を集めて燃料として使用することで、実際に自作の原子炉の運転まで行っていた。

ハーン氏が自宅の裏庭で怪しい実験を行っていることは直ぐに、地元警察の知れ渡ることとなり、その後、Nuclear Regulatory Commission(原子力規制委員会)によって極秘裏に機器の撤去作業と除染作業が行われていた。

高校生が自宅の裏庭に原子炉を自作し、実際に稼働させていたことは、最高機密として封印されていたが、1998年にHarper's誌がスクープ記事を報じたことから、公になっていた。

死亡との因果関係は不明となるが、高校時代に行った原子炉実験によって生じた被爆の影響なども指摘されている。

この本にでてくる

デイヴィッド・ハーン17歳で自宅で原子炉の製作

ボーイスカウトに所属していたため、
「放射能ボーイスカウト」という
あだ名で有名となった。

彼の原子炉はウランを使った
とても危険なもので、
何度かの実験によって
相当量の放射能を放出したと思われる。
幸い、実験が成功
(臨界に達する)する前に
FBIにより御用となった。
後に(当時の悲惨な顔写真も含め)
彼のあだ名は、
いかに個人が環境を破壊することが
できるかを周知する
プロパガンダで利用されている。

デイヴィッド・ハーン(1976年10月生)は
デトロイト郊外のミシガン州コマース郡区に
ある自宅の裏庭で、
核増殖炉の製作を1994年に試みた。
彼は当時17歳であった。

「放射能ボーイスカウト」とその後呼ばれるように
なるハーンは、実際イーグルスカウトであり、
ボーイスカウト組織から原子力技能章を
授与されたこともある。

彼はまた地下室で化学実験もどきを行い、
小規模ながら爆発を起こすこともしばしばあった。

ハーンは実験を進め、
こつこつと放射性物質を集積していった。
たとえば火災報知機からアメリシウム、
ランタンの覆いからトリウム、
時計や銃の照準からラジウム、
バッテリーからリチウムを集めるなど、微量ずつ、
時には盗むことで蓄積していったのだった。

かれの反応炉は巨大で、
鉛のブロックをくりぬいて造られたものであった。

彼は正式の科学者や教師を装い
専門家に手紙を送った。
彼の手紙にはスペルミスや
明らかな間違いが見られたが、
専門家は彼を信頼していったのだった。

ハーンは最終的には
増殖炉を作成したいと考えていた。

低レベルの同位体を用い、
トリウムやウランのサンプルを
核分裂性同位体へと変成させたいと考えていた。

彼の自家製反応炉は結局一回も
臨界に到達しなかったが、
有毒レベルの放射能を排出するには十分であった。

これは通常のおよそ1000倍のレベルに
達するものであった。
危険を感じ彼は自分の実験を廃棄しようとしたが、
偶然警察に遭遇したことから
彼のやっていたことが明らかになり、
その結果FBIと原子力規制委員会を
巻き込み連邦放射能非常事態を引き起こした。

環境保護局はハーンの母親の所有地を
スーパーファンド法に基づく
危険物質処理場に指定し、
倉庫および倉庫内物品を解体、
低レベル放射性廃棄物として
ユタ州に埋設処理した。

ハーンは放射能汚染による健康被害の診断を拒否した。

通常のバックグラウンド
放射線の千倍の量を見つけました

父親によって10才だったとき
彼に与えられた化学の本に夢中になりました

ハーンは地元での屈辱に苦しんだが、
イーグルスカウトの地位を持ってもいた。

コミュニティカレッジを退学後
ハーンは海軍に入隊し、
通常の水兵として原子力空母
USSエンタープライズ配属された。

彼は原子力の専門家としての
職を求めたいと考えていたが、
反応炉へ近づくことも許されなかった。

EPAの科学者はハーンはトリウムの
生涯被曝量を超えているかもしれないと
考えているが、
彼はシカゴ近郊の原子力研究施設である
ファーミラボで検査すべきだという
勧告を受け入れなかった。
その後ハーンは海兵隊に再入隊している。

この事件は当時メディアの関心を
ほとんど集めなかったが、
ケン・シルバースタインが1998年に
Harper's Magazine 誌でこの事件に
関する記事を発表し、
さらに2004年にハーンの伝記を
出版したことから広く知られるようになった。

2003年にはイギリス、チャンネル4で
テレビドキュメンタリー「The Nuclear Boyscout」
が放映された。
その中でハーンは彼が行ったことを再現してみせた。
この番組はディスカバリーチャンネルで
アメリカでも放映の予定があったが、
現在も実際には放映されていない。

さらにもう一人、ティアゴ・オルソン君。15歳

米国ミシガン州の高校生、ティアゴ・オルソン君。
15歳で自宅の地下室に原子炉を作り始めた彼は、
なんと17歳にして核融合に成功したのだ。

米オークションサイト「eBay」で
部品を調達しながら物理学の本を読みあさり、
分からないことがあれば
インターネットに質問を投げた。
一部専門家の間では原子炉に関する
機密性の高い情報がインターネットで
やり取りされることを疑問視するものもいた。

実際に作られた原子炉は重水素を使ったもので、
ウランを使って連続して
核融合を発生させる臨界構造になっていないため、
爆発する危険はなく、
法的にも問題がないとのことだ。

とは言え、2億度にも達する核融合は
放射能の危険性もあり、
高校生が扱うガジェットとしては
危ないものがある。

写真に写っている装置を見ても判るように
これはどう見ても高校生の夏休みの宿題とか、
趣味の工作といったレベルの代物ではない。
専門業者による非常に精緻な精密加工技術が必要だ。

恐らく、オルソン君は図面を製作した上で
地元の業者に加工を依頼したのではないか
と思うところだが、
いずれにしてもこの装置の開発には
それなりの費用とかなりの専門知識と
労力と時間が必要だったことは間違いない。

少なくとも普通の理工学部の学部学生よりは上だろう。

いったい、
この高校生は大人になった時には何をしているのだろうか?

下の映像は、別の高校生が自作した装置による実験ビデオ。

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