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47都道府県の歴史的偉人 2 「関東編」

どこは誰なのか?それ以上に、誰はどこなのか?いろいろ悩みどころは多いですが、ご当地の偉人を知って敬愛して、地元を愛し日本を愛してくれる人がいたら良いなと思います。Think Globally,Act Locally!

更新日: 2017年05月05日

来栖崇良さん

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朝廷の圧政に苦しむ関東から、朝廷の役人を次々の追い出し、関東の独立を目指したファースト・サムライ。



将門に脅威を感じた朝廷が、将門を倒すために武士が貴族となる道を開いたことは、やがて貴族政権の弱点となり、武士政権時代を作ることへと繋がっていった。

鎌倉幕府を支えた武闘派一族である宇都宮氏第9代当主で、あの楠木正成が「坂東一の弓取り」と称して戦うことを避ける。



鎌倉幕府滅亡後は、足利尊氏に翻弄されながら、南朝側の中心勢力として存在感を示した。

わずか150騎で挙兵後、その勢力は20万に膨れ上がり、鎌倉幕府滅亡の最大にして最終的な功労者となる。



しかし、次の権力者となる足利尊氏の巧妙な戦略に翻弄され、反鎌倉幕府の旗手である後醍醐天皇に見捨てられた悲劇の英雄。

源頼朝をもってして「日本一の剛の者」と称された現場主義の豪傑。



「平家物語」の名場面「敦盛の最期」でも有名な、自分の息子と同年くらいの敵将を涙ながらに討ち取ったことにより、後年は僧侶となり数々の寺院を建立した。

桓武天皇の流れを汲む千葉氏中興の祖とされ、全国にその一族を繁栄させた。


平氏の世によって領地が不安定であったが、源頼朝が挙兵すると早い段階から恭順を示して、鎌倉幕府の成立と安定に多大な貢献をした。


源頼朝からは父のように慕われ、新年は必ず常胤の屋敷で祝うほどだった。

今川氏の人質として過ごすという不遇な少年時代、ようやく手に入れた自領を武田信玄に脅かされ、豊臣秀吉の政治力に翻弄され、敵だらけの状態からスタートした「関ヶ原の戦い」ではさらに主力部隊が到着せず。



多くの逆境をくぐり抜けた末、世界的に珍しい約300年もの長きに渡って戦争のない世を達成する。

「平治の乱」により没落した源氏の嫡男として、かろうじて死罪を免れ14歳から実に40歳近くまで伊豆で政治犯として過ごし、満を持してわずかな手勢で挙兵すると惨敗するも、その後アッという間に軍勢が膨れ上がり、さらに軍事の天才である弟・源義経の活躍で平氏を滅亡させる。


鎌倉幕府を開くと、それまで京都一極であった日本史に大きな変化をもたらした。

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歴史、歴史的なもの、伝説、それらから派生するテーマを作ってます。

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