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日本の人身売買の歴史。貧困から『からゆきさん』東南アジアで娼婦として働いた日本人女性たち

日本では、貧困から貧しい農家などで娘を売りに出す事は珍しい事ではありませんでした。『親孝行したい』として娘が売りに出されて、東南アジアなどで『からゆきさん』として娼婦として働きました。10代で売りに出され、平均寿命は20歳ほどだったという事です。

更新日: 2018年09月04日

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misukiruさん

◆娼婦として働いた日本人『からゆきさん』

からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことである。

“からゆきさん”とは唐(中国)へ行く女性の意だが、江戸末期から明治・大正を通じて外国へ出稼ぎに行く女性を指し、特に明治大正期にあっては養蚕と並ぶ隠れた外貨獲得の先兵となってきた。

かつての日本では、外国といったらひっくるめて唐(中国のこと)天竺(インドのこと)と呼んでいたので、外国に行くことは"唐行き"だったのです。ただ当時は"からゆきさん"という言い方はされず、醜業婦、賤業婦、密航婦、島原族、天草女などと新聞や本には出ています。

◆古く室町時代からの身売り

日本には室町時代から続く公娼制度(女性を廓に閉じ込める管理売春)があり、親が娘を売って、受け取った金で生計をたてていく風景は珍しくなかったのです。国が、そういう権限を親に認めていました。家や親兄弟のために苦界に身を沈める娘は親孝行、と世間はみるのが普通でした。

またからゆきさんの多くは貧しい家庭に育ち、満足に小学校にも通えなかったので、読み書きは出来ないし、できてもひらがなとカタカナだけというケースが大半で、手紙のやりとりは難しいのが一般的でした。

◆貧困からの人身売買

日本の人身売買は、一方の行き先が遊女であり、もう一方の行き先が海外へ密輸された奴隷だった。

貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。

「シンガッパ(シンガポールのこと)のホテル奉公は大きなゼニになるぜ」などと、ことば巧みにだまされたのです。そして外国の貨物船の船員などとグルになって、下関や門司、長崎や口之津、あるいは神戸、横浜や清水の港などから密航させたのです。それらにかかった費用と称して、当時の金でおよそ500円ぐらい、今でいうと500万円ぐらいを本人の借金とさせたのです。

彼女たちは主に西日本の海沿いの村出身で、(熊本県の天草や長崎県の島原地方が有名)明治時代から大正時代にかけて、貧困層出身の娘たちが東南アジアや旧満州、シベリアなどへ売り飛ばされました。その殆どが「景気のいい○○でいい職があり一儲けできる」と日本人の斡旋人に騙され、実際現地に降り立ってみると娼館だった、という許せない話

からゆきさんの主な渡航先は、シンガポール、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地である。特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣された。

◆からゆきさんが暮らした場所

ブギスジャンクション内にあるハイラム街とマレー街が三叉路になっている場所、そこは1877年に最初の娼館ができ、1904年には娼館の数101軒、からゆきさんの数は902人までに昇ったそうです。

シンガポールは当時から貿易の要所で、ヨーロッパから東アジアへ向かう中継地でした。多くの欧米人などの船乗り、旧植民地管轄のイギリス人がメインのお客様でした。

タンザニアのザンジバル・ストーンタウンは、奴隷市場が存在した場所で、日本人娼婦がいた『からゆきさんの家』も残っています。

そんな「からゆきさん」達が暮らしていたのがここ。しかも僅か50年前までここで生活していたとか。

◆教育・情報不足による諦め

「日本娘は第一にあきらめが良く淡白だ。第二に金をむさぼらぬ。第三に盗心がない。第四に親切だ」などと概して評判がよかったようである。

密航船の中や、売られていった先の娼館で、絶望のあまりか、みずから自分の生を断った人もずい分いたようです。しかしながら、ほとんどの娘たちは、「500万の借金が返せなかったら国もとの家族から払ってもらうからな」などとおどされ、カネを稼いで家に送らねばという現実を思いおこして、涙も枯れるほど泣いたあとは、娼売の世界に飛び込んでいかざるをえなかったのです。

「もうここまで来てしまへば、捨て身の勇気とでも云(い)はうか、持てるものの凡(すべ)てを失った彼等が、運命に順応して行くその大膽(だいたん)ぶりは、到底男子の想像も及ばぬものがある」と、ある人は書き残しています。

◆島原や天草からは沢山

東南アジア各地の都市にある日本人娼館で働かされる貧しい農家の子女で占められ、その中心が長崎県の島原半島や熊本の天草諸島であった。

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