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「志布志のうなぎ擬人化」は何が問題だったか 「なんでも差別なんだろ」と感じる人向けに述べてみる

擬人化だからいけないのではない。女性だからいけないのではない。この手の問題はいつもあらゆる要素が絡み合っていて、それらを説明されなければ問題点は理解できない。(随時更新)

更新日: 2016年09月28日

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鹿児島県志布志市は、ウナギの生産が盛んな町。
 それをアピールするため、志布志市が作成した動画が物議を醸した。

 というか、擁護しようがないほどアウトだったため、9/26(月)には志布志市は当該動画を削除した。
 主な批判として上がっているのが「児童ポルノ」「女性差別」といった指摘である。

さて、差別やセクハラと言った問題全てにおいて言えることだが、物理的な暴力を伴わない差別や人権侵害は「直感的に理解しにくい」ものである。

 これらはある程度「ジェンダー」「人権」「尊厳」「性的消費・搾取」などのトピックに関心を持ち、知識を持っていないと理解できない。その方の知識に明るく、その方面での不適切さについて敏感な感性を持つようになった人たちの間では「言うまでもなくアウト」なことでも、わからない人には本当に「何が差別なのかわからない」「なんでもかんでも差別と言っている」ようにしか感じないのだ。

 そのため、このまとめでは、「うなぎ擬人化」の何が問題だったのか、なるべく詳細に説明してみようと思う。

目次:
1.動画の内容

2.何が問題だったのか
   ①無駄に性的・児童ポルノ的である
   ②行政がこの描写を肯定的に描いてしまっている
   ③「愛情」「消費」が食とは全く異質なものとして描かれてしまっている。


3.「不快な思いをさせてしまい」は問題の本質を考えると無意味である

1.動画の内容

ナレーターは男性。
 彼は志布志市で「彼女」に出会う。
 学校のプールのような場所で、スクール水着のような水着の少女。彼に「養って」とお願いしてくる。
 ナレーターは彼女に最適な環境を確保できるよう、天然地下水を引いてくる、良質の食べ物を用意するなど、飼育を始める。
 その間、少女は寝転がって日向ぼっこしたり食べたり水を浴びたり手がぬるぬるしたりする。

最終的に彼女は「さよなら」と言ってうなぎの姿になり去っていき、うなぎの蒲焼が焼ける映像に。
 その後、また別の少女がプールの中から「養って」とお願いしてくる。

解説は不要であろうが、この「彼女」はうなぎの擬人化であり、「飼育」を通して「どれだけの手間とこだわりを持ってうなぎを育てているか」をPRしている。

2.何が問題だったのか

まず、この動画の本来の意図を考えてみたい。
 これは「地元の特産品のPRのために」「行政が作成した」動画なのだ。

 民間でもコンプライアンスやポリティカル・コレクトネスなどという概念が浸透しつつあるが、公的な表現物にはとかく良識が求められる。

 「社会が目指すべき倫理観」に悖るものを行政が発してはいけない。
 今回の動画は、一体何が「良識に反して」いたのだろう。

学校のプールのような施設と、スクール水着のすっぴん美少女。
 性描写はないが、水着少女がのびのびと泳ぎ、ものを食べ、水浴びし、お昼寝する様を延々と映す映像。
 わいせつではないが、あたかも「少女を鑑賞する」ようなこの映像は、行政PR動画というよりはグラビアアイドルのイメージビデオに近い。

だが、これだけで自ポ法によって逮捕されることはない。自ポ法では被写体が未成年で、性的消費を目的としたものを児童ポルノとしている。


 
 しかし、重要なのは、本当に志布志市がこの動画を児童性愛的なものとして作る意図があったかどうかではない。
 「良識」というレベルにおいては、「被写体が実際に児童であるか、童顔の成人であるか」「性的描写があるかどうか」によってアウトセーフが線引きされるわけではない。

「学校を連想させる設定で」「イメージビデオのような映像を」「行政が流す」ことそのものが、そもそも良識を欠いているのだ。


 社会が目指す倫理観に対して、行政は誠実でなくてはならない。 
 これだけ社会が児童の人権や性的搾取に敏感になりつつある時代の中で、「学校プールでスク水美少女を鑑賞する」動画を発信することの危うさにに気付けなかったのであれば、行政としての意識の低さ、責任感の低さの宣伝に他ならない。

( なお、うなぎを表現する上で、スクール水着少女でなければならない必然性もない。

 なぜダイビングスーツではなくスクール水着を選んだのか。
 なぜあえて人間の少女を選んだのか。

 ダイビングスーツの方が、うなぎっぽさは出せたかもしれない。
 また、本来、養殖環境化のうなぎはオスが多い上に、肉づきも良い。人間の中でより「現物に近い」のは筋肉隆々とした男性だ。もちろん、女性でなく男性を使えばこの動画が抱えるあらゆる人権上の問題が解決されるわけではない。 

しかし、スクール水着少女である必要性がないことで、「あえて水着少女を使った意味」「水着少女を使うことでどのような効果を求めたか」が発生する。 )

出典grapee.jp

食品擬人化そのものは別に問題ない。アンパンマンが人権を侵害する恐れは全くない。

 しかし、これはうなぎのPR動画である。うなぎにいかに手間をかけているかを「肯定的に」描くものだ。
 「人間に『飼われ』『消費される』うなぎ」を「肯定的に」表現するのに「人間の少女」という媒体を選ぶということは、「人間の少女を『飼われ』『消費される』ものとして見なす」ことそのものを肯定的に描いてしまう。

暴力や殺人は誰がどう考えてもわかるように、社会の倫理観に反する行動である。

 しかしドラマにおいて、暴力や殺人が描かれることに対し批判は少ない。
 ドラマにおいてそれらは「犯罪」「悪者のすること」と描かれ、制裁の対象となる。あるいは「現実社会とは異なる奇妙なルールの世界での出来事である」前提の元に為される。そのため、ほとんどのコンテンツにおいて、現実社会の「暴力や殺人は悪である」価値観に背く価値観が喧伝されることはない。
 もしも暴力行為を健康や立身出世などの手段として肯定的に学習させようとする番組が作られたら、非難されるであろう。

まず、現実社会において「少女を飼うこと」は異常な行いである。プールであっても監禁罪である。まず、少女の飼育は現実社会の価値観に反している。

もしも「少女の飼育は異常者・悪人の所業」というスタンスでストーリーを作るのであれば、たとえ少女の飼育を映像にしたところで現実社会の価値観に違反してはいない。

 (例えば『マッドマックス 怒りのデスロード』では女性が性奴隷もしくは母乳製造機として監禁され、男性が血液ドナ―家畜として拘束されていたが、それは「倫理観がイカれた世界において、悪者サイドのやること」であった。誰もこれらの描写そのものを「良識に欠ける」とは批判しない。)

だが、志布志のうなぎ動画において少女の飼育は「イカれた輩のやる蛮行」ではない。
 「恵み豊かな自然の中で、愛情あふれる地元人が手間暇かけてこだわりを持って行う素敵なこと」なのだ。
 「志布志のうなぎの飼育・消費を良いものとして描きたい」意図のもとに少女の飼育・消費を行えば、「『少女を飼育し消費すること』は『良い飼育・消費』」という価値観を喧伝しているようなものなのだ。

表現物は「作者がどのような価値観を持っているか」を図らずも宣伝するものでもある。
 民間の映像制作者が反社会的な価値観を宣伝したところで、個人のイメージダウンはあれども問題にはならない。

 「あろうことが行政が」「このような反社会的な価値観を肯定してしまっている」ことが問題である。

志布志市の養鰻業者がうなぎを愛情たっぷりに育てている、と訴えたいのはわかった。
 だが、それを「少女への愛」に置き換えてしまったことで、それは「生産者としての愛」ではなくなってしまった。

人間が人間に対して寄せる愛情は、どうしても「生産者としての愛」ではない。
 近しくても「親の子に対する愛」、あるいは「恋愛、性愛」や「敬愛」などであろう。
 
 ナレーションはうなぎ少女を「彼女」と呼ぶ。我が子扱いはしていないし、
 少女へ寄せる思いや、彼女に対する献身的な世話は、忠誠や敬愛とは異なる。百歩譲って性的でなくとも恋愛じみている。
 (イメージビデオまがいの水着少女を鑑賞しながら「性愛感情はない」と断言するのも少々無理がある気がするが)

うなぎを少女扱いし、「生産者の愛」を「恋愛もしくは性愛」扱いすることで、生産者の純粋な熱意やこだわりといった養殖の過程が、なんだか気色悪い印象を帯びたものになってしまった。 

 それによって、「育ちあがったうなぎを消費する」こともまた、全く異なる意味合いを含まされてしまう。

フェミニスト界隈の議論では頻出ワードであるため忘れられがちであるが、フェミニズムやジェンダーに関心のない人は「性的に消費する」の意味するところがぴんと来ない人が多い。

 消費の定義は、
「1 使ってなくすこと。金銭・物質・エネルギー・時間などについていう。」
「2 人が欲望を満たすために、財貨・サービスを使うこと。「個人消費」」
 とある。

 「人を性的に消費する」とは、あえて説明するとすれば、「他者(の肉体や容姿、人格や尊厳、人生、など)を、自らの性的欲望・性的関心を満たすためのものとして利用すること」とでもいうべきだろうか。
 人間として社会に参画している人は、まず人間として尊重されねばならない。そこには、「本人が望まずして、性的なものとして他者の欲望や関心を満たすのに利用されない自由」が含まれる。

 未だにセクハラの概念を理解しないまま「触ってもいないのになんでもかんでもセクハラと言う」と言って無知を省みない人も少なくないが、望まれずして他者を性的なものとして見なしたり扱ったり接したりすることは、この自由を侵害しているのだ。
 あなたが金を払い、「性的に扱う」権利を一時的に買ったキャバ嬢に対して許される発言や行動を、身の回りの無関係な女性(あなたを客としていない時の風俗業従事者も含む)に対して行ってはいけない理由はこのあたりにある。

育ちあがったうなぎは消費者の元へ送られる。うなぎの意思など関係ない。そして、美味しく育ったその体を消費される。
 そのうなぎに、「性的に描かれた」少女を重ねて表現するのは、デリカシーがないのを通り越していっそグロテスクですらある。
 
 一言述べたい。
 動画製作者は、「良かれと思って」養鰻とうなぎ消費に薄気味悪い陰を落としてしまった件について、養鰻業者に謝罪すべきである。


 それでもやはり「フェミが吼えてるだけ、としか思えない」方は是非、少女を別の属性に置き換えて考えてほしい。

 例えば「性的搾取」の非人道性は理解できなくとも「労働搾取」ならば感覚的にわかる、という方は、ナレーターを「地方にやってきた経営者」にしてみよう。
 …彼は地方の労働者たちを見て、その素朴で有能で熱心、それでいて扱いやすそうな人材に心惹かれる。「私は『彼ら』に出会った。勤勉で忠実な労働者たち。私は彼らを立派に活躍させることにした」と言ってうなぎ缶詰の工場で働かせる。さりげなく深夜残業や規格外社員の唐突な解雇が描かれるなど、ブラック労働を匂わせる。それも「上司と部下の和やかな協力」「努力と才能が競われ、優秀なものだけ残っていく」という「好意的な描写」で。 
 そして目を掛け会社で育成してきた選りすぐりのエリート社員に、ある日経営者が「君はもう一人前だ。みんな君を欲しがっている」と言ってそのスーツの胸に「ブランドうなぎ」のシールをぽんと貼った途端、社員はうなぎに変わり、次の瞬間蒲焼が焼ける映像が流れ、うなぎ缶詰がベルトコンベヤを流れる…

 気持ち悪いだろう、おそらく。

3.「不快な思いをさせてしまい」は問題の本質を考えると無意味である

この手の問題が起こると、大抵動画の配信元はただちに動画や広告を非公開にし、弁明を始める。
 ただし、問題になった表現物を取り下げる決断をしても、多くの場合は何が本当に問題なのかわかっていない。

 その理解しないまま事態の収束を図ろうとする姿勢を象徴するのが、決まり文句のように頻出する「ご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません」である。
 
 「ご不快」は、問題の本質を「見た者の気分を害した」ことにあると誤認している。(あるいは、論点をそこにすり替えている) 
 この手の問題について批判を連ねる人は、「不快だから」クレームを入れているわけではない。
 
 「責任ある立場で」「現代社会の倫理観に対し忠実であるべき立場で」ありながら、
 「現代社会の倫理観・価値観に悖る描写をしてしまったことで」
 「その意図があろうとなかろうと、不適切な価値観を受容し肯定する表現をしてしまっていること」
 「そして、そのように前近代的な価値観で人間を扱うことを許容する社会の存続・再構築に与していること」

 について、しかるべき「反省」を求めているのだ。

 日本が本当に民主主義社会で、主権が本当に国民にあるのならば、人は「このような社会的風潮はおかしい」という社会の在り方への批判ができる。それは「見て不愉快になった」などという個人の怒りや消費者のクレームとは異なる次元の感情である。「個人の不快・怒り」と、「社会のあるべき姿についての市民の批判」を取り違えてはいけない。
 批判する人の「ご不快」への「謝罪」は根本的に見当違いなのである。
 

 何が問題か理解できているか、自身の立場とその責任においてその表現がどのような意味を持ちどのような影響をもたらすか、現在の行政の思想的立ち位置はどこにあるのか、、などをきちんと発信しなくてはならない。
 映像の中で「これは間違っているものだ」と否定できなかった不適切な描写は、映像の外で「これは間違っていました」と否定することでしか、社会の良識に適合させられない。そしてきちんと「人間を不適切に扱うこと」は間違っていると表明することで、「人間を不適切に扱うこと」を誤りとする社会は形作られる。


           志布志市へのご意見・ご要望 http://www.city.shibushi.lg.jp/goiken/

謝罪するとしたら、志布志市の良識を疑わせるような表現を公的に発信してしまったことについて、市民に謝罪する必要はあるかもしれない。
 良かれと思って宣伝にならない宣伝動画を作り、養鰻業に恥をかかせたことを養鰻業者に謝罪する必要もあるかもしれない。
 だが、まちがいなく「批判している人たちへの謝罪」は的外れだ。

 志布志市が公式声明を出すとき、どのような文章を連ねるのかは定かではない。
 行政自身の責任と影響力を重く受け止めたうえで、あるべき社会の価値観とは何か明確にすることができる、成熟した自治体であることを願う。

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seni_seviyorumさん

自分が今興味あることを手当たり次第にまとめていきたい。ですので、個性を要求されるらしい奨励者はもう目指しません(・ω・´)