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ベトナム戦争でアメリカ軍が激戦を繰り広げた『ケサン基地』からの米軍撤退

ベトナム戦争でアメリカ軍が激戦を繰り広げた『ケサン基地』は、死闘の戦いとなりました。航空作戦「ナイアガラ」を実施し約114,000トンの爆弾を投下、攻める北ベトナム軍を爆撃で攻めました。米軍は、最終的に家さん基地を放棄して撤退しました。

更新日: 2018年09月11日

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misukiruさん

◆最前線にあったケサン基地

ケサン基地は、北ベトナムとの停戦ラインのすぐそばにありました。

ベトナム戦争期間中、南ベトナム政府を支援するアメリカ軍が最も北ベトナムに近い地域に設けたケサン戦闘基地は、1,200メートルの滑走路を備えた約2平方キロの基地で、周囲のS881高地、861高地、558高地、N881高地の4箇所に前衛陣地を備えていた。

戦闘に備えて、かなり強力に基地が作り込まれていた事が分かります。

◆北ベトナム軍の侵攻

◆アメリカ軍の最先端にあったケサン基地

アメリカ軍の戦闘豪は、地下に掘られたものでしたが、度重なる戦闘で修復が困難なまでに、相当に破壊されました。

北ベトナム軍が1968年1月31日からのテト攻勢に備えて本格的に同地の攻略を開始したのは1968年1月中旬からだった。北ベトナムの正規軍第304師団が基地の西方から、第325師団が基地の北方から砲撃開始と同時に塹壕により、アメリカ海兵隊2個連隊と南ベトナム政府軍レンジャー部隊が守るケサン基地に迫った。

ケサン基地は南北ベトナムを結ぶ国道9号線の北側にあり、北ベトナムからラオスに通じる北ベトナム軍の補給路であるホーチミン・ルートの破壊を目的にしていた。北ベトナムはテト攻勢に先立ち、ホーチミン・ルートの安全確保と第一次インドシナ戦争を勝利に導いたディエンビエンフーの戦いのような象徴的な勝利を求めて正規軍2個師団を投入してケサン基地の包囲殲滅を画策した。

ケサン基地は、アメリカ軍が整備したものでしたが、現在は状況が再現されています。

各トーチカが塹壕で結ばれていて、本部が各トーチカと無線で連絡が取れるようになっていました。

◆空路での輸送を行う事になる

2万の兵力で西と北を圧迫されたアメリカ軍は補給路を断たれ、空路での補給を余儀なくされた。

アメリカ軍は77日間の戦闘期間中に1,120回にも及ぶ物資の空輸を行い、兵力投入がままならない中で空軍、海軍、海兵隊の各航空部隊が協力し、ボーイングB-52戦略爆撃機 による航空作戦「ナイアガラ」を実施し約114,000トンの爆弾を投下、攻める北ベトナム軍に出血を強いた。

ベトナム軍の砲撃が激しくなると、ケサン基地では輸送機の離発着が困難になり、アメリカ軍は、北ベトナム軍の激しい砲撃下で、穴ぐらでの不自由な生活を強いられていた。

アメリカ軍は周囲が共産勢力の勢力下にあるケサン基地を維持するコストが高くつくことや、塹壕に対する航空爆撃の威力が比較的低いことなどから7月に入るとケサン基地を破壊して撤収することとなった。戦術的には勝利しながらも最前線のケサン基地を放棄するという決定はテト攻勢とともにアメリカ国民に大きなダメージを与え、これを境にアメリカ国民の中にベトナム撤退支持層が増えることにつながった。

◆ティエン・ビエンフー陥落を連想させる

2月に入ると、ベトミン軍は得意のゲリラ戦によりハノイ―ディエン・ビエン・フー間の地上ルートを遮断した。このため現地のフランス軍への補給はもっぱら空輸に頼らざるを得なくなった最もフランス軍はこのことを予想し、約100機の双発輸送機を用意しており、さらにアメリカ製の対地攻撃機約150機が出撃準備を終えていた。

フランス軍は105㎜砲28門の砲撃力に大きな期待をかけていたが、ベトミン側は中国から送られてきた同じ105㎜砲48門をそろえていた。また75㎜砲の数については、フランス軍40門に対しベトミン軍は80門に達していた。

フランス軍の前哨基地は十数ヵ所存在したが、それらの陣地は1週間に1ヵ所の割合で陥落していった。もっとも両軍の距離がせばまるにつれ、攻撃側の姿がはっきりと現れてベトミン軍の損害も上昇し始めた。

参考リンク

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