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「織田信長も糖尿病だった?」教科書には載っていない糖尿病だった【偉人・著名人】まとめ

あの偉業を成し遂げた著名人も、天下を席巻した偉人も糖尿病だったらしい!?世界中の偉人たちをまとめてご紹介!

更新日: 2016年10月06日

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戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国の古渡城主・織田信秀の嫡男。

昔の名前で「飲水病」すなわち糖尿病に罹ってたという記録がある。

信長は糖尿病から来る神経障害による体のシビレや痛みに悩んでいて、そのイライラが高じたためにカンシャクを起こしたり、残虐な行為に走ったのではないかと考える研究者も

前漢の第7代皇帝。後世は秦の始皇帝と並び「(英邁な資質ではあるが)大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。

武帝は糖尿病であったが、薬で改善したといわれている

糖尿病によいとされる霊芝が発見されると詩を作ったり祝宴を催したり、大謝礼まで発していた

平安時代中期の公卿。娘を次々と后に立て、外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華をきわめた。

「小右記」で道長は、51歳頃から「口が渇きやたらと水を飲む」と書いている。血糖値が高い状態になると、血管内の浸透圧が高まり、細胞から血管の中へと水分が移動。その結果、血管内の水分量は増え尿量が増えますが、細胞は脱水となるので口が渇き、多飲となる。

『御堂関白記』には道長が目を悪くしていた記述が出てくる。「二、三尺相去る人の顔も見えず」これは糖尿病性網膜症ないし、糖尿病による白内障の悪化が疑われる。

18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家。西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられている。代表作は管弦楽組曲 BWV1066~1069(G線上のアリア)など

バッハは大変な美食家だったようで、教会のオルガン奏者として招かれた際の晩餐会でのメニューが残されている。牛肉の煮込み・鱒のアンチョビバターソース添え・スモークハム・ソーセージとほうれん草添え・羊のロースト・子牛のロースト・グリンピース・ジャガイモ・レタスと赤かぶ・アスパラガスの温サラダ・揚げ菓子・レモンの皮の砂糖漬け・・・等を一人で平らげたとのこと。

60歳近くになってから、バッハは視力が衰え始めたが、これらは糖尿病性網膜症が原因だといわれている。

19世紀フランスを代表する小説家。90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。

バルザックの大食いは、(糖尿病が原因と思われる)晩年の失明や、死因となった腹膜炎を引き起こしたと思われる。

江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士(薩摩藩士)、実業家。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。

五代友厚はお酒を非常に好み、毎日のように外国人と晩餐会や料亭に通う不摂生な生活を送っていた。

最後は糖尿病が体を蝕み、やせ細り、視力が低下して49歳という若さで亡くなった。

日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。

40代から肥満になり始め、40代後半から糖尿病を発症

かなりの日本酒好きで酒にも強かったとそう

59歳で糖尿病腎症による尿毒症で崩御

19世紀日本の詩人、童謡作家、歌人。活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。

執筆や講演で大忙しだった北原白秋は、有効な治療をすることはなかった。やがて、食事療法が充分にできず、そのうち病状は進み、糖尿病による網膜症と思われる症状で視力を無くしてしまった。

お酒は飲めないようだったが、大の甘党でまんじゅう、羊羹、アイスクリーム、ケーキなどを好んでいた。また当時出回り始めたジャムも毎日のように舐めていて医者に止められたというエピソードも

「痛みがあり座って居られない」、「痛みで眠れない」など苦しんだ記録が文献に残されているが、これが糖尿病による神経疾患かは定かになっていない。

ナッツ類や甘いものが大好きで肥満気味、発明に没頭するあまり睡眠が不足しがち、さらには糖尿改善のための運動の効果も信じていなかった

不規則極まりない生活を送っていたが、糖尿病の合併症はとくに患うことなく、84歳で亡くなった。不規則な生活をしていた一方で、自己管理やコントロールはしっかりできていたのかもしれない。

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