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ゴッホの「数少ない友人」ってどのくらいいるの?

気性に難があったゴッホは人付き合いが苦手で、特にゴーギャンとの同棲生活の破綻はよく知られたエピソードである。そんなゴッホにもわずかながら親しい友人が…って、結構多いっすね。ヨーロッパ各地を転々としてた来歴のおかげもある。(サムネイル画像はゴッホ『ひまわり』1888年、ロンドンナショナルギャラリー蔵)

更新日: 2016年10月22日

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ottwoottwoさん

ゴーギャン

ゴーギャン『黄色いキリストのある自画像』1890-1891、オルセー美術館

シェアハウスをしながら絵を制作し互いの才能を認め合う仲だったが、ゴッホの気性や2人の絵画観の違いなどから関係は悪化、いわゆる「耳切り事件」が決定打となりわずか9週間の共同生活は終わった。「絶縁した」と思ってる人も多いかもしれないが、その後も手紙のやり取りなど交流は普通に続いている。

ロートレック

ポスター『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』1891年

一時期ゴッホと同じ画塾に通っていて、ロートレックがゴッホの肖像画を描くなどかなり親しかったようである。ともに日本の浮世絵の影響を強く受けた画家という共通点もある。

ベルナール

ベルナール『草地のブルターニュの女たち』1888年、個人蔵

ロートレックもいた上述の画塾に通っていたり、後述のタンギーの店にいたり、ゴーギャンとともに活動したりと何かとゴッホと接点の多い画家。手紙のやり取りが多く残っているほか、上の絵はゴッホも模写している。

ピサロ

ピサロ『オペラ座通り、テアトル・フランセ広場』1898年、ランス美術館

印象派の長老的存在だったピサロは、前衛的な若手画家や気難しい面々とも広く交流する懐の深さがあった。
耳切り事件後町を追い出されたゴッホに後述の医師ガジェを紹介したのもピサロ。さらに自宅に住まわせても良いとまで言ってくれていたが、妻に反対され断念。温厚なピサロとの第2の共同生活が実現していればゴッホのその後の運命は変わっていたかもしれない。

シニャック

シニャック『サン・トロペの港』1901年、国立西洋美術館

ゴッホと絵画上の共通点も多いシニャック。タンギーの店で知り合い、親しくしていた。「耳切り事件」後に入院中の見舞いにも来ている。

モーヴ

モーヴ『浜辺の朝の乗馬』1876年、アムステルダム国立美術館

ゴッホのいとこの夫であり、オランダ時代の絵の師でもあった。しかしゴッホはこの頃妊娠中の娼婦と知り合って交際していたうえ彼女との結婚も考えており、どうやらモーヴはそのことに憤って彼と絶縁してしまったらしい。

画商タンギー

ゴッホ『タンギー爺さん』1887年、ロダン美術館

ゴッホは画材屋兼画商である彼の店へ画材を買いによく通っていた。ゴッホが心酔する日本の浮世絵に囲まれた肖像画は彼への敬愛の顕れである。

カフェ店主セガトーリ

ゴッホ『カフェ・タンブランの女』1887年、ゴッホ美術館

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