印象派の長老的存在だったピサロは、前衛的な若手画家や気難しい面々とも広く交流する懐の深さがあった。
耳切り事件後町を追い出されたゴッホに後述の医師ガジェを紹介したのもピサロ。さらに自宅に住まわせても良いとまで言ってくれていたが、妻に反対され断念。温厚なピサロとの第2の共同生活が実現していればゴッホのその後の運命は変わっていたかもしれない。

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ゴッホの「数少ない友人」ってどのくらいいるの?

気性に難があったゴッホは人付き合いが苦手で、特にゴーギャンとの同棲生活の破綻はよく知られたエピソードである。そんなゴッホにもわずかながら親しい友人が…って、結構多いっすね。ヨーロッパ各地を転々としてた来歴のおかげもある。(サムネイル画像はゴッホ『ひまわり』1888年、ロンドンナショナルギャラリー蔵)

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