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将棋界で起こったの衝撃的な出来事ベスト15(平成編)

平成以降に起こった将棋界のビックニュースをランキング形式でまとめました。※ランクは個人の判断によるものです。

更新日: 2017年06月27日

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3takuさん

次点:66歳でのタイトル挑戦! 大山康晴最後の活躍

1950年初タイトル(九段)を獲得して以降、およそ20年近く将棋界のトップに君臨した昭和の大棋士。

平成元年度の1990年(平成2年)には棋王戦で66歳にして南芳一棋王に挑戦した。この棋王挑戦は、タイトル挑戦の最高齢記録である(五番勝負は0-3で奪取ならず)。

昭和の怪物・大山康晴十五世名人は、なんと66歳になってもタイトル戦に出場するという快挙を成し遂げます。

翌1992年(平成4年)度の順位戦も休場せずに生涯現役を貫き、1992年(平成4年)7月、A級在籍のまま死去した。

上記のタイトル戦からおよそ2年ほどで、大山康晴十五世名人名人はお亡くなりました。
正に、死の直前まで第一線で活躍していたということです。

15位:毎日から朝日に変更? 名人戦の主催者変更における大混乱

1612年から続く将棋における最高の称号である。
かつては世襲制や推挙制であったが、1935年に実力制に移行されること発表され、1937年から名人戦としてタイトル化された。
現在は、プロ棋士のNo.1を決めるタイトルであり、もっとも獲得するのが困難なタイトルである。

2006年3月、日本将棋連盟理事会は第66期(2008年)以降の主催を朝日新聞社に移管するとの方針を示し、この時点での主催社である毎日新聞社に対し、契約を更新しない旨の通知書を送付した。

将棋界の最高の名誉である名人のタイトルをめぐり、日本将棋連盟と2つ新聞社の中で問題が・・・

長年名人戦を通じ棋界を盛り立ててきた毎日新聞社は激怒し、大きな問題となった。

それまで名人戦の主催者だった毎日新聞は、当然怒り心頭に。

毎日・朝日両新聞社と日本将棋連盟の間で、契約金などについて合意された。名人戦・順位戦は5年契約となり、契約金は両社合わせて年額3億6000万円、別枠の将棋普及協力金が年額1億1200万円となる。

結局、名人戦・順位戦は、毎日新聞と朝日新聞の共催となり、賞金総額も大幅にアップ。
日本将棋連盟は大きな利を得ることとなりました。

14位:藤井猛の竜王三連覇&藤井システムの大流行

藤井猛九段は、羽生世代と呼ばれる強豪が集まった世代のの1人で、振り飛車の名手として名を馳せる人気棋士です。

タイトル初挑戦。谷川浩司竜王との七番勝負で藤井システムを用い、4-0のストレートで破りタイトル初獲得(1998年11月18日)。「将棋世界」誌の表紙には「藤井システム、将棋界を席捲」の文字が印字された。

藤井システムという新戦法を考えだした藤井猛七段(当時)は、谷川浩司竜王(当時)に圧勝する形で見事タイトルを獲得しました。

従来の指し方は玉をまず美濃囲いに囲うのに対して、藤井システムは、居玉のまま飛車角銀桂香で攻める急戦戦法。
それまでの常識とされた「居玉は避けよ」「玉飛接近すべからず」という格言に反した指し方をして、それが戦法として成立したことから将棋界の革命とも言われる。

藤井システムは画期的な戦法で、当時の将棋界で大流行することとなりました。

竜王戦で羽生をフルセットの末4-3で下し、竜王戦史上初の3連覇を達成

藤井システムを武器に、藤井猛九段は竜王戦を三連覇するなど大活躍することになります。

13位:最年少記録達成! 屋敷伸之のタイトル獲得

屋敷伸之九段は研究時間1日1分という天才肌の棋士で、競艇好きとしても有名です。(日本モーターボート選手会の外部理事)

第56期(1990年度前期)の棋聖戦でも、本戦トーナメント(1990年3月27日 - 5月28日)を勝ち上がり、中原に2期連続挑戦。五番勝負(1990年6月18日 - 8月1日)では2連敗の後に3連勝して奪取。18歳6か月で初タイトルを獲得(タイトル獲得の最年少記録)。

前年に羽生善治が作ったばかりの史上最年少タイトル獲得(竜王、19歳)の記録を1年足らずで塗り替えた。また、プロデビューから1年10か月での初タイトル獲得も、歴代最速である。

羽生善治六段(当時)が10代でタイトル(竜王)を獲得したことは将棋界で大きな衝撃となりましたが、その羽生竜王(当時)が樹立した最年少タイトルを屋敷伸之五段(当時)が1年で破ったことは、さらなる衝撃でした。

12位:中原誠と林葉直子の不倫報道

大山康晴全盛の時代に現れた天才棋士で、プロ入り後1回もつまずくことなくA級棋士にまで上り詰めた他、20歳の若さでタイトルを奪取した。
その後、大山康晴の時代は終焉し、中原誠が将棋界の大盟主となっていく。

1998年、元女流棋士の林葉直子と長期にわたって不倫関係となり、堕胎させたと週刊文春が大々的に報じたことから騒動となり、テレビ番組などで連日報道された。

将棋界を代表する棋士の1人である中原誠永世十段(当時の称号)が、数年前に失踪騒動を起こしワイドショーを賑わした林葉直子元女流と不倫関係だったことが発覚。
中原永世十段は自宅前で律儀に記者会見を開き、林葉元女流との不倫関係を認めました。

1994年から1998年の間に林葉女流棋士邸の留守番電話に「とつにゅう」などと本人らしき肉声が録音されたテープが1998年にテレビのワイドショーなどで公開され、本人もテレビで記者会見に応じ、自身の見解を発表した。

中原永世十段が言ったとされる留守番電話の『突入』や『突撃』はワイドショーで何度も放送され、中原永世十段の真面目そうな雰囲気とのあまりのギャップに世間は大きな驚きを残すこととなりました。

11位:森安秀光九段刺殺事件

森安秀光九段は棋聖のタイトルを獲得したこともある強豪棋士の1人でした。

1993年11月22日、西宮市の自宅で当時12歳の自身の長男に刺殺された(森安九段刺殺事件)。享年44。その死は将棋界だけでなく、社会全体に大きな衝撃を与えた。

この事件はある意味将棋界最大の衝撃ですが、大規模な報道規制が敷かれたことと将棋と直接関係がない話題なのでランクは低めに設定しました。
これ以上深い話は、リンク先でご覧ください。

10位:アマチュア強豪・瀬川晶司のプロ編入試験

瀬川晶司五段は、奨励会を三段で退会して以降、アマチュア大会で好成績を上げ続けた棋士で、戦後初のプロ編入試験を行ったことで話題となりました。

2005年2月末時点でプロ相手に17勝6敗、勝率0.739(不戦勝1を含む)という成績を収める。

アマチュアとして一部プロ棋戦に参加していた瀬川晶司アマ(当時)が、プロ棋士を圧倒し将棋界で大きな話題となりました。

全棋士の多数決(賛成129、反対52、白票8)でフリークラス編入試験実施が認められ、1944年の花村元司以来61年ぶりの編入試験となった。

瀬川晶司アマのプロ編入試験が特例で実施され、瀬川アマは見事プロ棋士となりました。

瀬川晶司のプロ編入をきっかけに、アマチュア選手が棋士になる新たな道筋が模索された。2006年の棋士総会の決議により、アマチュアからプロへの編入について、以下のような「フリークラス編入試験」が制度化された。

この瀬川晶司五段の例を基に、アマチュアからプロになる編入試験の道筋が開かれることとなりました。
その結果、今泉健司アマがプロ試験に合格しアマチュアからプロになることができました。

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