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海老蔵も超える「十一代目市川團十郎」が破天荒すぎる

十一代目市川團十郎は市川海老蔵さんの祖父にあたります。その十一代目もなかなか破天荒な人生を送ってきたようです。

更新日: 2016年10月21日

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海老蔵が歌舞伎の道に進むきっかけは祖父

ある日、祖父の出演舞台のフィルムを見て、その美しさと芸の素晴らしさに感銘を受けました。その出来事がきっかけで、市川海老蔵さんは、歌舞伎の世界に邁進することができたそうです

私は祖父に会ったことはございませんが、私が歌舞伎を始めたきっかけは、祖父の『与話情浮名横櫛』をビデオで観たことでした。「世の中にこんなにかっこいい男がいるんだ」、そこから祖父に憧れ、歌舞伎道に入って参りました

姿も、声も、顔も、全てが好きです。十一代目團十郎が大きい男だったからこそ、父のような大きな男が生まれたのではないかと感じています。

二人は周囲から似ていると言われることも

当代海老蔵は、父12代目團十郎よりも祖父11代目團十郎によく似ているとのこと。海老蔵母によると「神経質で、鋭利で繊細」。

また海老蔵は、「疑問を感じると熱心に質問し、いい加減に話を先に進めない」。そして歌舞伎座近くの演劇書に強い奥村書店(109頁)では一番のお得意様。このへん、初役に挑むとき資料をそろえることからはじめる11代目と似ている

多くの方に良く似てると言われますが、、もしかして本当に似ているのかな?と思いました

そんな祖父「十一代目團十郎」もやはり破天荒だった

並外れた美男っぷりを誇った11代目。"海老さま"と親しまれた昭和歌舞伎の華として知られているが、戦前の評判はあまり良くなかった。当時は内気でありながら癇癪持ちという、いわゆる、扱いにくい役者であったという。

梨園では他家の御曹司に稽古をつける場合、声は荒らげても手は出さないという不文律がある。しかし十一代目團十郎はお構いなしの厳しい人で、昭和39年 (1964) 1月に「三之助」が東横ホールで共演した『勧進帳』の稽古では「竹刀でもってビシビシ叩かれ、三人ともワーワー泣いた」と後に初代辰之助が述懐している。

芸が開花した後も、この扱いづらさは変わらず、興行初日にいきなり舞台を休んだり、別の舞台でも突然休演を申し出て周囲を困惑させた

当時、家政婦である千代と再婚したことは家柄を重んじる梨園にとってスキャンダルでした。それでも結婚を願ったのは誰でもない先代の團十郎さんです。

役者を辞してでも結婚したいという團十郎の誠実さに打たれた海老蔵後援会長・前田青邨が、千代を一旦養女にしてから結婚させるという、江戸時代さながらの一幕もあった。

しかし、その後妻になった千代に対しても相当な癇癪をぶつけることがありました。

熱した鉄に水をかけると激しく飛び散るがごとく、実生活でも気が散るような、余計なことが芸を濁すとばかりに攻撃をもってこれを打ち払う。それが下の者、家の者に多く向けられたのは生活と芸を上手く仕分けられなかったからなのだろう。

主人公光乃とその夫雪雄は、十一代目市川團十郎夫婦がモデル。そのせいか、癇癪もちの雪雄の行動が当代海老蔵のものとして再生される。あと、雪雄が息子を可愛がる場面は、まるで当代海老蔵が勧玄くんを可愛がっているかのよう

その凄絶な生き様には、言葉を失います。梨園に興味のないわたしですら、時のたつのを忘れて夢中になる素晴らしい本

今、海老蔵に夢中の年配の方々は、海老蔵に十一代目市川團十郎の面影をみているはず。

「きのね」読み終えました。 よい本でした。 第11代目市川団十郎の妻、堀越千代さんのお話。 市川海老蔵さんの祖母。 素晴らしい女性でした。

襲名からわずか3年でこの世を去る

だが、襲名から3年半後の昭和40年 (1965) 11月10日、胃癌で死去した悲劇の名優であった

團十郎本人には最期まで自身が胃癌、それも末期癌だったということは伝えられず、死のひと月前の記者会見では「来年(1966年)の正月からまた舞台に立つ」とコメントしていたほどであった。

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しっぽぷりんさん

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