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【22歳で死刑囚】人を刺す事に興奮をしていた山地悠紀夫の壮絶な人生

22歳で死刑囚、25歳で死刑執行された山地悠紀夫。人を刺す事に興奮を覚え射精していた山地悠紀夫の壮絶な人生・生い立ちをまとめました。

更新日: 2018年09月29日

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firk12さん

◼︎生い立ち

山地の父親は様々な職を渡り歩いていたが、酒癖が悪くしばしば妻や山地に対し暴力を振るっていた。

1995年1月に父親は肝硬変で死亡したが、その後は少年は母親と2人暮らしであった。少年は学校では目立たない存在で、友人も少なかった。小学生時代は、家庭科の教材費を支払うことが出来ず、それを理由に教師からは調理実習で作った料理を食べる資格がないと決め付けられ、作った料理をゴミ箱に捨てさせられたこともあった。中学校時代は少年は「悪魔」と呼ばれたこともあった。中学2年の頃から不登校気味となり、中学3年には3分の2近くを欠席し、修学旅行などの行事にも参加しなかった。

母親には借金があり、取り立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納していた。

卒業後は高校へは進学せず(中卒)、しばらく就職先が見つからなかったが、知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。だが母親には借金があり、取り立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納していた。生活保護も申し込んだが認可されなかった。6月になって少年は借金のことを知ったが、そのときには既にもうどうしようもないところまで来ていた。

◼︎山口母親殺害事件

当時16歳、山地は金属バットで母親の頭と顔と胸などを殴り倒し母親を滅多打ちにし殺害した。

2000年7月29日午後9時ごろ、少年と母親は口論となる。きっかけは少年が交際したいと考えていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけたためであった。
そのことを母親に少年は問いただしたが認めず、母親が少年に対し「出て行け」などと言ったことに腹を立て、借金の事も絡んで口論となり暴行を加えた。そして、頭に血が上った少年は金属バットで母親の頭と顔と胸などを殴り倒し母親を滅多打ちにし殺害した。

母親を殺害した際、「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」と姉妹殺害事件の大阪地検検事に後に述べている。

7月31日午前1時頃、少年は「母親を殺した」と110番通報をする。山口署員は少年を殺人容疑で緊急逮捕した。

少年は8月21日に山口地検に「刑事処分相当」の意見書を付けられ山口家庭裁判所に送致され、山口少年鑑別所で調査を受けた。

9月14日、山口家庭裁判所は「動機に酌量の余地があり、計画的な非行ではなく、家庭環境に大きく起因していることなどを考慮すべきだ」とし、「長期間の矯正教育を受けさせるのが適当であり、年齢的に見ても矯正は充分可能」として、中等少年院送致としたが、実際には充分な「長期間の矯正教育」は行なわれたとはいえず、わずか3年2ヵ月で出所している。少年は9月14日の審判で「客観的に見て許されないことをしてしまった。母が抱えていたものをもっと説明してくれていれば、違う展開になったかもしれない」と語った。

◼︎大阪姉妹殺害事件

就職活動をしていた頃の山地

少年鑑別所出所後、およそ1年半で大阪市浪速区のマンションで飲食店店員の姉妹を刺殺した。

事件前日未明、姉妹が住む部屋の電気が配電盤のトラブルで2回にわたって消えていた。各階にある配電盤のスイッチで特定の部屋の電気を消したりつけたりすることができ、点検した電力会社の係員が「姉妹の部屋のスイッチがいたずらされた」と証言。
トラブルのさなかに配電盤周辺で、姉が眼鏡を掛けリュックを背負っていた男を目撃し、勤務先の同僚や客に打ち明けていた。
事件当日の17日午前1時ごろ、マンション来訪者の少女が、近くの路上で自転車に乗ったままマンションの方を凝視する男に気付いた。男は自転車のハンドルに手をかけ、カーキ色のジャンパーを着て眼鏡をかけていた。しばらく少女を見て、走り去った。

ナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、跡を残さないための工作を行った。

2005年11月17日午前2時半ごろ、まず飲食店での仕事を終えて帰宅した姉がドアを開けた瞬間に背後から襲撃。ナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、跡を残さないための工作を行った。約10分後には妹が帰ってきたためナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦した。その後、ベランダで煙草を吸った後に姉妹の胸を再び突き刺して殺害、室内に放火し現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪った上で逃走した。2人は病院に運ばれたが搬送先で間もなく死亡した。

2006年12月13日午前、大阪地裁(並木正男裁判長)において、死刑判決が下された。

◼︎山地の人格

2006年5月1日に大阪地方裁判所で初公判が行われた。初公判で被告人の供述が検察により読まれたが、その内容は「刺す度に性的興奮が訪れた」という内容であった。

「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」と述べた。母親殺害との関連性についても質問されたが「自分では判断できない」と答えた。

アスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していないと判断し、検察側の「人格障害(非社会性人格障害、統合失調症質人格障害、性的サディズム)である」とする完全な責任能力を認める精神鑑定書を証拠。

法廷に2万2796人分の死刑を求める嘆願書が提出されたが、被告人は検察官に「どう思う」と問われても「何も」としか答えなかった。

自分の存在について、弁護人が差し入れたノートに「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」と記している。

◼︎死刑執行

2009年7月28日、大阪拘置所にて死刑囚の死刑が執行された。

享年25。

20代の死刑執行は1979年に執行された正寿ちゃん誘拐殺人事件の死刑囚(死刑執行時29歳)以来30年ぶり。

25歳での死刑執行は1972年の少年ライフル魔事件の死刑囚以来37年ぶりであった。

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